長崎本線の佐賀駅から鹿児島本線の瀬高までを結んでいた路線。熊本方面と長崎方面をショートカットする路線としての使命を持っていた。
昭和6年の矢部川(現・瀬高)〜筑後柳川の部分開業に始まり、昭和10年に全線が開通した。昭和51年に長崎本線の高架化で佐賀駅が移転したときに佐賀線も高架ホームからの発着になった。
輸送需要の落ち込みで昭和55年に第2次特定地方交通線に指定され、昭和62年3月27日限りで廃止となった。
佐賀駅から出ていた路線であるから当然佐賀の通勤圏で人口の多い地域を走っていたのだが、列車間隔がありすぎて利用は伸びなかったようだ。短絡線としての利用もこの地域の輸送の流れは対博多方面が圧倒的であろう事が想像でき、需要は少なかったようだ。
駅名 | 読み | 駅間距離(Km) | 累計距離(Km) | 開業年月日 | 廃止年月日 | 備考 |
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(佐賀) | さが | - | 0.0 | 1935-05-25 | 1987-03-28 | 長崎本線接続 |
東佐賀 | ひがしさが | 2.3 | 2.3 | 1939-09-11 | ||
南佐賀 | みなみさが | 1.7 | 4.0 | 1935-05-25 | ||
光法 | みつのり | 1.5 | 5.5 | 1938-09-10 | 1944-1947まで一時廃止 | |
諸富 | もろとみ | 2.3 | 7.8 | 1935-05-25 | ||
筑後川(信号場) | ちくごがわ | 1.2 | 9.0 | 1936-06-18 | 筑後川橋梁上 1947年まで信号所 |
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筑後若津 | ちくごわかつ | 0.3 | 9.3 | 1938-03-30 | ||
筑後大川 | ちくごおおかわ | 0.8 | 10.1 | 1933-06-17 | ||
東大川 | ひがしおおかわ | 2.5 | 12.6 | 1956-01-10 | ||
筑後柳河 | ちくごやながわ | 2.9 | 15.5 | 1931-09-24 | ||
百町 | ひゃくちょう | 3.3 | 18.8 | 1937-06-10 | 1944-1947まで一時廃止 | |
三橋 | みつはし | 1.3 | 20.1 | 1931-09-24 | ||
(瀬高) | せたか | 4.0 | 24.1 | 1931-09-24 | 鹿児島本線接続 1931-1942 矢部川(やべかわ) 1942-1956 瀬高町(せたかまち) |
レンタカーで佐賀から瀬高に向かって調査してきました。早朝から調査を始め、終了したのが16時頃だったと思います。所要時間は9時間くらいです。筑後川可動橋に到着したのが9時前、ここで1時間以上時間を使ったのですが、その後の区間で車で近づくのが困難だったり場所がよく分からなかったりして予定よりかなり時間がかかってしまいました。
この路線の見所はなんと言っても筑後川可動橋です。今でも昇降が行われていて是非見ておくことをおすすめします。
佐賀県側は道路にほぼ沿っているので調査は楽でした。南佐賀から諸富までサイクリングロードとなっています。
福岡県側は道路から離れています。筑後柳河からの区間は道路化工事が進められて言いました。まともな平行道路がない区間だったので完成すれば便利になるでしょうが、それと共に痕跡は失われてしまうでしょう。私が訪れたときはまだ一部未着工で、未着工区間では路盤などが残っていました。
平行するバス路線は分かりません。佐賀県側は人口が多く幹線道路沿いなのでバスもあるのではないかと思います。福岡県側は道路が平行していないのでバスはないでしょう。筑後柳河の東で西鉄大牟田線をアンダークロスします。交差地点に西鉄の矢加部駅があります。