佐賀線廃線跡調査 5

調査結果

三橋〜瀬高

道路となっていたのは矢部川の手前まで。矢部川へアプローチを開始する部分の路盤は背の高い雑草が茂っている。 矢部川の橋梁へ上ってくる築堤。道路と交差している部分の橋桁は外されている。一部築堤が半分ほどの高さに削られているのはなぜだろう。
矢部川の橋梁跡。橋梁が架かっていた痕跡は何もない。 瀬高駅へと至る直前の路盤。大きくカーブしている。
国道をくぐって鹿児島本線と平行し、瀬高駅構内となる。路盤が残っている。 瀬高駅に侵入していた路盤跡。鹿児島本線の左に佐賀線の路盤跡が残っているのが分かる。手前に見えているのが0、1番ホーム。
右上写真と同じ場所からワイドで撮影。一番手前のホームの左側にあった0番線は駐輪場になっている。 0番線跡は駐輪場になっているが、ホームの脇にバラストらしき砂利が残っていた。
0番線の車止め部分のコンクリートと封鎖された跨線橋の階段が残っている。 瀬高駅駅舎。佐賀線現役の頃から変わっていないようだ。

三橋駅付近の路盤は道路になっているが、この道路は矢部川へ向けて築堤で登り始める地点までだった。その先は矢部川を越えるためにだんだん高くなっている築堤が残っているが、築堤上は草が茂っているのと、途中道路を跨いでいた橋桁が外されていることなどで歩くことは出来ない。

川の手前部分50mほどが半分ほどの高さに削られていたのは謎である。ここもそのうち道路になるのだろうと思われる。

矢部川の橋梁は昭文社の都市地図(2002年版)には道路として使われているように書かれているが、既に跡形もなくなっていた。橋台などの跡も全く分からない。

矢部川を渡った先は畑になっていた。堤防から降りたところで少し左にカーブして県道を渡り、右に大きくカーブして北側(博多側)から瀬高駅に入っていた。瀬高駅手前、国道209号をくぐった地点で鹿児島本線と合流するが、この手前あたりからの路盤はまだ残っていた。

佐賀線は瀬高駅の駅舎に突き当たって行き止まりとなる0番線を使っていたようだ。ホームは反対側の1番線が現役なのでそのまま使われていて、0番線の車止め部分と封鎖された跨線橋の階段が残っていた。0番線の線路があった部分は駐輪場になっているが、ホームのすぐ脇にはバラストが残っていた。


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