関東・会津・房総紀行 年始編 3

2日目 1月11日(日) 中編
新しい会津へのルート、北アルプスとの再会

2日目中編 乗車列車一覧
乗車駅 発車時刻 下車駅 到着時刻 列車 経由路線 車両形式*両数 備考 写真
東武日光 10:59 下今市 ? 快速 東武鉄道
日光線
6050*2
下今市 11:12 会津田島 12:41 快速 東武鉄道鬼怒川線
野岩鉄道会津鬼怒川線
会津鉄道会津線
6050*4 新藤原で後部2両切り離しだったと思う
会津田島 13:05 会津若松 14:16 普通 2318D 会津鉄道会津線 8500*2

直通列車で会津の山中へ

東武日光駅駅舎と日光の山並み。 東武日光駅駅前。JRの駅前よりにぎわっていた。
野岩鉄道線は国鉄新線らしい高架とトンネルの連続する路線で明かり区間の眺めはすばらしい。 トンネルの合間の鉄橋。山奥に来た実感がする。
会津高原あたりまで来ると辺り一面雪景色。 野岩鉄道と会津鉄道の接続する会津高原駅。多くの列車は両線を直通運転している。

JRの日光駅から東武鉄道の東武日光駅まで5分ほど歩く。このあとは東武鉄道、野岩鉄道、会津鉄道を経由して会津若松に向かう。東武日光駅で西若松まで直通の切符が券売機で帰るのはさすがである。出てきた乗車券は通常の近距離切符サイズながら2日間有効で途中下車可能。民鉄の切符で2日間有効というのはかなり珍しいのではないだろうか。

下今市まで浅草行きの快速に乗り、下今市で会津田島行きの快速に乗り換える。他にも乗り換え客が何人もいたのは少し意外。観光地をはしごする観光客だろうか。

会津田島行きの快速は長距離列車にしては普通の車両だったが快速では仕方がない。セミクロスシートだったのは救いである。

しかし混雑していて座れない。仕方がないので運転席後ろのあたりで前面展望を楽しむことにする。しかし線路規格が低い。線路は曲がりくねっていて這うような速度で進む場所が少なくなく、制限25キロなどという速度制限がある。これでは会津若松直通列車を設定しても時間短縮は難しいかもしれない。

鬼怒川温泉の温泉街を縫って進み、東武鉄道の終点新藤原に到着。ここまで来ると雪がちらついてきた。

新藤原から野岩鉄道に乗り入れる。野岩鉄道は国鉄新線として計画された路線だが、その接続点が私鉄の東武鉄道というのがおもしろい。国鉄時代は日光線今市に接続するように計画されていたようだが、第3セクターとして引き受ける際に計画変更したようだ。そのためか、通常国鉄線として計画された第3セクターはJR時刻表の本文ページにJR線と同じ扱いで時刻が掲載されているのに、野岩鉄道は巻末の私鉄と同じ扱いである。

新藤原を出るとすぐにトンネルに突入。国鉄新線らしくトンネルばかりでまっすぐに進む。東武線とはうってかわってスピードが上がるが、それでも制限70など意外に遅い。線路規格的には120キロ運転も十分可能だと思うが、どうもやる気がなさそうだ。線路はずっと上り勾配で山の中に入っていく。トンネルでない場所の景色はなかなかのものだった。

途中からトンネルが少なくなり、やや線路規格が下がった印象を受けた。野岩鉄道の終点、会津高原では乗務員交代もなしでそのまま会津鉄道へと乗り入れる。辺り一面雪景色で、列車は粉雪を舞い上げながら進む。

会津高原からは会津鉄道の路線。元国鉄会津線である。ホームなどに国鉄時代の面影が色濃く残っている。このあたりから平野部に出ていく感じだった。会津田島までは電化されていて、ほとんどの列車が会津田島まで直通運転している。国鉄時代はローカル線の末端区間だったのに進化したものである。(まだ進化しきっていない感があるのが残念だが・・)

今市から乗った列車の終点、会津田島駅はホームに雪が積もっていた。ようやく冬らしい場所に来られたという感じである。関東平野は冬なのに全く雪も積もっていないのはつまらない。ここで一旦途中下車して駅舎を撮影。地方都市の駅にしてはかなり立派な駅舎だった。

8500系特急車両で会津若松へ

会津田島駅駅舎はドームのような形状の大きな建物だった。 会津田島駅駅前風景。道が凍っている。
会津田島駅に停車中の8500系。このまま普通列車で余生を終えるのはもったいなさすぎる。 8500系の入り口には野口英世のイラスト。
8500系車内の様子。特急車らしい落ち着いた車内で回転クロスシートが並ぶ。 途中駅ではもう1編成の8500系と交換。

会津田島からの列車は普通列車なのだが使用車両は「AIZUマウントエクスプレス」用の8500系気動車だった。名鉄の「北アルプス」として高山線を走っていた車両で、私にとってはようやく再会できたという感じだった。今回会津鉄道に来るに当たって是非この車両に乗りたいと思っていたが行程の都合でやむなくすれ違うだけになりそうだと思っていたが、まさかじこくひょうに注記のない普通列車にも使われているとはうれしい誤算である。

久しぶりに見る8500系はちょっとくたびれてきている感じがした。まだ車両的には新しいはずだが、名鉄時代ほど丁寧な整備はできないようだ。特急運用をしているわけではないので費用をかけられないのもやむを得ないかもしれないが。

入り口ドアの脇には「AIZU MOOUNT EXPRESS」と言う文字と共に野口英世の似顔絵が描かれていた。行き先方向幕もしっかり使用されていたが、ここに「特急 浅草 指定席」などと表示できる日が来ることを願いたい。

車内は名鉄時代と変わらない落ち着いた雰囲気。速度計兼用のLED案内機が使用されていないようだったのは残念。トイレは使用できたものの洗浄液が切れてしまっていた(液が流れた跡があったので直前に切れたのかもしれない)。デッキ付きの特急車両だけにすきま風が入ることもなく非常に快適であるが、天井からきしみ音が聞こえたりブレーキ音が何か怪しい気がしたのがやや不安を覚える。車内にゴミはなくそれなりに丁寧な清掃がされているようだが、カーテンの汚れなどが目立ってきていた。座席のシートカバーがしっかり装着されているのはすばらしいと思った。

途中の駅では宝くじ号と書かれた車両とすれ違ったが、転換クロスシートの展望車で、8500系ほどではないもののかなり豪華な車両のようで、特急は無理でも急行になら十分使えそうだと思った。会津鉄道は第3セクターにしてはめずらしくグレードの高い車両がそろっているようである。観光路線の性格の強いと思われる路線だし、長距離利用者も多そうなので会津若松まで急行を設定すれば利益も上がって良さそうだと思うのだが。

線路の規格はそれほど良くはないので名鉄時代のような100キロを超える速度での走行は見られなかった。しかし乗客の評判はかなり良いようだった。本来の特急運用で疾走することができる日が1日でも早く来ることを願って8500系に別れを告げる。


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