九州制覇旅行 4

2日目 3月9日(日) 後編
人吉〜湯前〜人吉〜吉松〜隼人

2日目後編 乗車列車一覧
乗車駅 発車時刻 下車駅 到着時刻 列車 経由路線 車両形式*両数 備考 写真
人吉 17:12 湯前 17:58 普通21D くま川鉄道
湯前線
KT201+KT103 車掌乗務
湯前 18:25 人吉 19:08 普通22D くま川鉄道
湯前線
KT103+KT201 車掌乗務
上記列車の折り返し
人吉 19:38 吉松 20:38 普通1247D 肥薩線 キハ31-14 ワンマン
吉松 21:04 隼人 21:56 普通2937D 肥薩線 キハ58+28 なし

夕暮れの湯前線を往復

人吉駅のくま川鉄道のりば。 (人吉の1つ先の)川村駅から人吉駅方向を見る。左にJR肥薩線が平行する。
一武駅。交換設備が撤去されているのが分かる。ホームの向こうは一面田んぼが広がる。 免田駅を出発したところを後ろから撮影。唯一の交換駅だったと思う。
夕暮れの迫る中、湯前駅へと進む。(東多良木駅を出発したところを後ろから撮影) 湯前駅駅舎。恐らく国鉄時代のままだろう。
湯前駅駅前風景。温泉街の雰囲気は全くない。 湯前駅駅名標。イラスト入りなのが特徴的。他の駅もこんな感じの駅名標だったと思う。
湯前駅車止め部分には大きなアーチが作られていた。 湯前駅にあった湯前線の歴史を示した看板。
湯前駅に停車中の列車。 KT201型車内。この車両はオールロングシートだが、KT103型はセミクロスシートだった。
湯前駅の時刻表。朝1本だけ実は熊本直通の列車があるようだ。

人吉でくま川鉄道に乗り換える。ホーム内に乗り換え通路があったと思うが、JRとは別にくま川鉄道の乗り場があるので、撮影のため一旦JRの改札を出て、くま川鉄道の駅舎から入り直す。

きっぷはホームの自動券売機で買う方式だった。

駅を出て暫くはJRと線路を共用していて、橋梁を渡ってからJR線と別線になり、次の川村駅までJR線と平行して進む。

沿線は田んぼが多く、経営状況は厳しいのではないかと思われた。それでも、列車は2両編成である。

途中交換設備の撤去された駅がいくつかあり、今でも交換設備が残っているのはほぼ中間点にある免田駅だけだったと思う。

終点の湯前駅は名前からして温泉街かと思ったのだが、駅前は閑散としていて温泉の香りは全くしない。これでは観光客は呼び込めそうにない。

湯前駅は1本の線路を挟むように両側にホームがあったが、駅舎側のホームしか使われていないようだ。JR時代からこんな配線だったとは思えないので改良が行われたのだろう。

車止めの部分には大きなアーチがあり、なかなか良い風景になっている。かつてはこれより先に線路を延ばし、宮崎あたりに繋げる計画があったようだが、立ち消えになってしまったようだ。少し時間があったのであたりを歩いてみたが、この先の工事跡などは見あたらなかった。

湯前駅の時刻表を何気なく見ると「人吉からくまがわ4号」という但し書きのある列車がある。大判のJR時刻表にJRとの直通列車はなかったはずだが、実際はJR車両が直通してくるようだ。

行きの列車での乗客は多かったが、帰りの人吉行きの乗客は非常に少なく、湯前から乗ったのは私だけ。JR直通列車のことが気になったので車掌(この列車はワンマンではなかった)に聞いてみたら、思った通りJRの急行車両が1日1本乗り入れてくるらしい。なぜ上りだけ直通なのか訪ねたら、信号機の関係からか人吉駅のJRホームから湯前線に直接出発する事が出来ず、一旦入れ替えが必要なためらしい。

また、上りだけで時刻表にも出ない意味のない直通を続けているのは、人吉から少しの間だけあるJRとの共用部分の関係でダイヤが自由にいじれず、直通列車を受け入れないとその時間の列車が設定できないためらしい。共用部分の肥薩線の列車は削減される一方で現在では普通列車ばかり僅か5往復になってしまっているのだから、いくらでもダイヤ設定できると思うのだが、JR九州もなぜこんなところで意地悪する必要があるのだろうか。

最終列車でスイッチバック体験

肥薩線山越え区間を往復しているキハ31の車内。左側の席は畳敷きになっている。 山越え区間の中間駅、矢岳。フラッシュをたかなければ何も写らなかっただろう暗さである。

再び人吉に戻ってきたときにはすでに真っ暗になっていた。私は暗くなってからの乗車区間は踏破記録にはカウントしないことにしているので、日が暮れたらその日は終了とすることが多いのだが、この日は人吉に良い宿がなかったのと次の日の行程の都合で肥薩線の終点である隼人まで移動することにしていた。

肥薩線はかつては鹿児島本線として幹線の一部を形成していた歴史ある路線だが、人吉から先はとうとう急行も廃止されて見るも無惨なダイヤになってしまった。人吉までの山越え区間はループ線に2駅ものスイッチバックと鉄道ファンにとっては魅力いっぱいの区間だが、列車本数が非常に少ないので乗るには大変な区間でもある。

これから乗る列車は、まだ7時30分だというのに最終列車である。この時間では景色が楽しめないのでファンも乗らないためか、ホームに止まっている単行のキハ31には乗客は私以外に1人だけだった。この車両はひるま「いさぶろう」「しんぺい」として観光ダイヤで走っている車両で、山越え区間はこの車両が往復しているだけのようだ。以前この車両に乗ったときにもらった観光パンフレット(1999年九州旅行記の資料参照)はモノクロコピーになってしまっていた。

この区間は、以前急行が走っていた頃に乗ったことがあるのでだいたいの線形は分かっているつもりだが、外が暗いとどのあたりを走っているかさっぱり分からない。無人の大畑駅でスイッチバックしてなおも山を登る。かなりの勾配のはずだがキハ31は車両が軽いからかさほど苦しむ様子もなくすいすい上っていく。この車両は3列シートだが、2人掛けの座席は畳敷きである。観光用に改造したのだろうがこれが座りづらい。でも、寝るにはおあつらえ向きの設備だった。

山を登り切った列車はこれまた無人で静まりかえった矢岳駅に到着。そして驚いたことに、私以外の唯一の乗客だったおじいさんがこの矢岳で下車してしまった!駅前には明かりも見えないような山奥なのにこんな所で最終列車から下車する客がいるとは思わなかった。駅付近に数件あると思われる民家の住人としか思えないが、そんな利用者に出会うとは驚きである。

更に驚いたことに、おじいさんを降ろすと運転手は車外に出て休憩し始めた。この駅は、かつては数本の側線がある重要な駅だった様子が残っているが、今は列車交換も出来ない駅で信号機もないので、普通ならばすぐに発車するはずである。しかし、時刻表を見ると発車時間までまだ2、3分ある。運転手が飛ばしたので早着したのだろう。降りたくてもこの列車本数では降りられない駅だったので、これ幸いと私も下車して駅舎の写真を撮っておいた。まさかこんな駅で、しかもこんな形で途中下車できるとは思いも寄らなかった。運転手さんありがとう。

山を下る途中にある真幸駅で更にスイッチバック。幸せになりそうな駅名でもあり、この駅でも出来れば途中下車したかったがさすがにそれは無理だった。(この駅は信号機があるので早着すると信号の係員にばれてしまうからな・・・)

新しくなった保存機関車に挨拶してから宿泊地隼人へ

吉松駅の隣で肥薩線を見守っているC55型蒸気機関車。 最終列車を待つ吉松駅には回送列車が集結していた。

吉松駅で隼人行き最終列車に乗り換え。しかし乗り換え時間が30分近くある。昼間ならこのくらいの時間があった方が駅前散策が出来て都合がよいのだが、早くホテルで寝たいと思っているこの時間帯でこの待ち時間はつらい。真っ暗で行くところもないし、南国九州でも3月のこの時間帯は寒い。駅横に蒸気機関車が保存されていることを知っていたので行ってみた。以前来たときは屋根の改装中で機関車にもシートが掛けられていたが、今回は改装も終了してきれいになっていた。機関車も塗り替えられたようでピカピカである。末長くこの肥薩線を見守っていってもらいたいと思う。

隼人への最終列車は都城からの直通でギリギリにならないとホームに入ってこなかったため、非常に寒い思いをした。そして入ってきた列車は2両編成だったがどちらの車両も乗客はゼロ。車内も寒々しい。次の栗野はかつてもう一つのループ線として有名な山野線が接続していた駅だが、有人駅でこの時間も明かりがともっていたのには驚いた。吉松ですら無人だったのに・・・。

終点まで貸し切りかと思ったが大隅横川で1人乗ってきた。この辺りになると民家も増えてくるようだ。22時直前にようやく隼人着。日の出前から活動していたのでもう眠くて仕方がない。駅から少し歩き、以前にも宿泊したことのあるぼろホテル(でも安い)にチェックイン。強行スケジュールで乗り遅れの許されない、この旅で一番大変な1日がようやく無事に終わった。


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