九州制覇旅行 16

8日目 3月15日(土) 後編
田川後藤寺-金田-田川伊田-行橋-小倉-名古屋

8日目後編 乗車列車一覧
乗車駅 発車時刻 下車駅 到着時刻 列車 経由路線 車両形式*両数 備考 写真
田川後藤寺 17:11 金田 17:23 普通 336D 平成筑豊鉄道
糸田線
301 ワンマン
金田 17:27 田川伊田 17:39 普通 251D 平成筑豊鉄道
伊田線
203 ワンマン
田川伊田 18:05 行橋 18:54 普通 2446D 平成筑豊鉄道
田川線
102 ワンマン
行橋 18:58 小倉 19:28 普通 5580M 日豊本線 413*4
小倉 19:45 名古屋 22:49 特急「のぞみ34号」 山陽新幹線
東海道新幹線
700*16(東海編成)

廃止を免れた平成筑豊鉄道糸田線

糸田線で田川後藤寺を出発直後。町を見下ろして走る。 金田駅跨線橋から構内を望む。車両基地が置かれていて構内は広い。

田川後藤寺から平成筑豊鉄道の糸田線に乗る。平成筑豊鉄道が時刻変更されていたらこの日の内に予定路線を完乗することはできないところだったが、どうやら大丈夫らしい。予定を変更してもう1泊する覚悟もしていただけに、ほっと一息つくことが出来た。

とは言っても、順調にいっても最終の名古屋行き「のぞみ」に辛うじて間に合うというギリギリの行程。九州乗り潰しの最終路線となる平成筑豊鉄道田川線は、行橋到着前に日没になってしまう。しかし、これまで1週間旅行してきた経験からなんとか僅かな明かりは残っているだろうと見当を付け、この日に完乗を果たして帰宅することにした。乗車する新幹線は最終の名古屋行き「のぞみ」以外不可能なので、ここで指定券を押さえておいた。

平成筑豊鉄道の車内で一日乗車券を買う。17時過ぎに1日乗車券を買う人も珍しいかも知れない。

糸田線は、平成筑豊鉄道の中心駅である金田と田川後藤寺を結ぶ短い路線。線名の由来になった糸田駅は、交換設備も無くされ寂れてしまっていた。途中駅は2駅しかないのですぐに金田駅に到着。平成筑豊鉄道の路線網や運転形態を考えれば、糸田線は廃線にしてしまった方が効率が良さそうだが、それでも存続しているのは後藤寺が地域の中心だからなのだろうか?あるいは赤字国鉄線を受け入れた平成筑豊鉄道の意地か。

九州制覇に向けて暗闇迫る田川線をラストスパート

金田駅を出発。複線の伊田線と糸田線の3線が並ぶこの区間はかつての繁栄を象徴している。 金田から少し進んだ地点で糸田線と分かれる。
車内の様子。 国鉄時代の駅名標が残っていた勾金駅。
勾金駅を出発したあたりの様子。 犀川駅到着。あたりはかなり暗くなり、写真を撮るのもかなり厳しくなってきた。
犀川〜東犀川三四郎。車内の移り込みが激しく、景色もおぼろげにしか見えなくなってきた。 行橋駅の平成筑豊鉄道乗り場はJRホームの端の切り欠きホームだった。

金田駅は平成筑豊鉄道の中心駅で、車両基地が置かれているため構内は広い。途中下車してゆっくり観察するつもりだったが、すぐに田川伊田行きの列車が到着。この列車に乗っても、田川伊田で次の列車に乗り継がなくてはならないので意味がなかったのだが、そのことをよく把握していなかったのでこの列車に乗ってしまった。

田川伊田は以前にも降りたことがある駅。再び来てしまったが取り立ててやることがない。駅舎内などをぶらぶらして時間を潰し、次の列車に乗り継いだ。

田川伊田を出発したのは18時すぎ、もう日が暮れ始めていた。しかし、田川線は全線初乗車なので、何とか終点行橋まで景色を見ておかなければならない(私の乗車線区にカウントするためのポリシー)。どんどん暗くなっていく中、途中交換待ちで長時間停車するのが非常にもどかしい。

この路線は筑豊地方で取れた石炭を周防灘まで運ぶための重要路線だったが、炭鉱の閉鎖で貨物列車がなくなり、国鉄から見放されたが、平成筑豊鉄道が経営を引き継いでくれたお陰で生き残った路線である。平成筑豊鉄道の他の路線もかつての石炭輸送用路線だが、旅客列車のみになった現在でもその名残が各所に見られる。

駅のホームには平成筑豊鉄道独自の駅名標が掲げられ、その駅にちなんだイラストが添えられていた。国鉄時代からの駅は、石炭貨物列車が走っていたことから有効長が非常に長く、端の方が草むしたホームが出迎えてくれる。

源じいの森、東犀川三四郎などという面白い駅名の駅を通り、行橋に近づくが、さすがに暗闇があたりを包み、景色を見るのが困難になってきた。それでも、僅かに残った明かりで山の輪郭が何とか分かる。ここで景色を見るのをあきらめるわけにはいかないので必死であたりの様子をうかがう。どうやら田んぼの中を走っているようだ。

行橋に近づくと民家が多くなり、町の灯りで景色が見えるようになってきた。これでもう安心である。スーパーなど、明るく目立つ建物が目に付くようになってきたところで行橋に到着。これで九州のJR、第3セクターは完乗である。とくにこの日はダイヤ改正で酷い目にあったが、何とか今回の旅行の目的を果たすことが出来た。

行橋駅の平成筑豊鉄道ホームは、JRホームの端に柵で区切られた切り欠きホームとして造られていた。柵の区切りの改札を通ってJRホームに移動。そのまま普通列車で小倉に向かう。

ガラガラの普通列車で小倉へ

行橋からの普通列車はガラガラだった。

行橋から乗った普通列車は、始発駅が2駅手前の新田原ということもあってガラガラだった。各駅にとまるごとに多少乗客は増えてきたが、この時間に都心部に向かう人は少なく、終点まで空席が目立っていた。

この列車はオールロングシートだったが、シートが新しいようで非常にきれい。座り心地も良かった。

予定を全て消化し、後は新幹線で帰るだけ。外は真っ暗で何も見えないから車内では寝るしかないのだが、列車は下関行き。もし小倉で降り損ねて新幹線に乗り遅れでもしたら、もう1泊しなければならなくなってしまう。乗り過ごしでもう1泊など絶対にしたくはないので眠ることも出来なかった。

最終の新幹線でなんとか帰宅

小倉駅ホームには0系新幹線が止まっていた。 緑の帯をまとった0系。なんだか新鮮な印象を受ける。
名古屋まで連れてきてくれた700系「のぞみ」号。名古屋駅にて。 名古屋手前の車内の様子。ほとんど誰もいない。

小倉駅新幹線ホームに上がると、東海道区間ではすでに見ることが出来なくなった0系車両が、緑帯をまとって止まっていた。旧型車両も塗装変更をするとなんだか新鮮な印象を受ける。車内もニューリアルされているだろうから、1度乗ってみたい気がする。

ほどなくやってきた、最終の名古屋行き「のぞみ」に乗り込む。車内はがらがらだった。山陽区間は「ひかりレールスター」などもあるので、わざわざ高い料金を払ってのぞみに乗らないのだろうか?そういえばこの日は土曜日というのも大きかったのだろう。

最初から空いていた車内だが、新大阪をすぎると更にガラガラ、1両数人という状況になってしまった。3人席には誰も座っていない。これだけガラガラの新幹線は初めてではなかっただろうか。でも、この列車が無ければ名古屋まで帰ることが出来なかったのだからありがたい列車である。

名古屋到着は22時49分。地下鉄で下宿に戻った時には日付が変わろうとしていた。大学生活最後の旅行もこれで終わった。


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