2001北海道 4

4日目 8月25日(土)
羽幌線等廃線跡調査

羽幌線の廃線跡調査

日本海沿いの国道231号、苫前町での1カット。この辺りは風力発電の風車が立ち並ぶ強風地帯。

この日は日の出とともに羽幌線の廃線跡調査を始める。予定では前日に一部区間の調査は始められる予定だったのだが、札沼線の調査に手間取って留萌まで移動するのが精一杯という状況だったので急いで調査を始めた。羽幌線は留萌から宗谷本線の幌延までの長大路線で、是非訪れてみたいと思っていた路線である。海に沿って走る国道のすぐ脇を走っていた部分が多いので、その部分の調査は楽だったのだが、一部内陸に迂回していた区間があり、その部分の調査が大変だった。力昼から古丹別への山越えでは、平行する道道(山越えのダート道だが・・・)が崖崩れで通行止めになっていた。しかも1年以上も前から通行止めになっているらしい。早く復旧しろ!と思いつつ仕方がないので林道を進んだ。25万分の1の地図にすら書かれている林道なので大丈夫だろうと思いきや、もうすぐで九重の集落に出るという場所で営林署による通行止めが!!!。通行止めなら林道の入り口で予告しておけ!と思いつつ仕方がないので今来た道を延々引き返す羽目に。ここで酷く時間をロスしてしまい、この日幌延まで行くことが出来なくなってしまった。廃線跡調査にトラブルは付き物とはいえ、これは大変だった。あまり怪しい道に無理して入るべきではないとの教訓になった。

羽幌の先の築別からはすでに廃止になった深名線の朱鞠内までの名羽線の建設計画があった。築別からしばらくはすでにあった羽幌炭坑鉄道の路盤を利用する予定だったので工事は行われていないが、その羽幌炭坑鉄道も今はなく、その廃線跡を見てくることにした。名羽線の朱鞠内側はこの調査の最後で見てくる予定(結局雨で断念)だったので、それと合わせて羽幌側も見てこようと思ったのである。

JRの廃線では廃線跡調査がメジャーになったこともあり、橋梁など危険な部分はほとんど取り壊されてしまっているが、羽幌炭坑鉄道はJRの廃線でないためかほとんどの橋梁が手つかずで残っていて現役当時の様子が良く保たれていた。しかし、名羽線として建設された曙から先の部分は道路から見える場所ではあまり線路跡らしい物はなく、ちょっと残念だった。

再び日本海沿いの国道232号に出て羽幌線の調査を再開。途中取り壊されてしまった部分も多かったが、それでも残っている物は残っていて、なかなか充実した調査が出来た。しかし、丁寧な調査をしていたために途中で日が暮れてしまって、ギリギリまで粘ったものの天塩町で真っ暗になってしまい、もう少しの区間が翌日持ち越しになってしまった。この日に調査を終えて、夜につぎの調査路線の起点駅まで移動しておくつもりだったが惜しかった。

この日は道の駅「富士見」で車中泊。

5日目 8月26日(日)
羽幌線、興浜北線、美幸線廃線跡調査

羽幌線の残り区間を調査

この日はまず前日にいけなかった羽幌線の天塩から幌延までの区間を調査する。この区間は多少国道から離れている部分はあるものの、山の中に入っていく部分はないので調査は楽だった。幌延手前の天塩川の橋梁跡がないかと思ったが全く分からなくなってしまっていたのは残念だった。

幌延で羽幌線の調査は終了。この日は天北線を調査するのと興浜北線、美幸線と調査してくるのと2通りのプランがあったが、天北線は羽幌線と同じくらいの長さがあり、しかも山の中を走っていた区間も多いのでこの日の内に調査を終えるのは無理と判断し、興浜北線に行くことにした。

浜頓別から興浜北線、美幸線とたどり名寄へ

内陸部を突っ切る道道84号で興浜北線の起点だった浜頓別へと向かう。しかしこの道道、行けども行けども森林地帯ばかりで民家は全くない。コンビニなども全然無く、朝食を食べてなかったのは失敗だった。対向車にもほとんど出会わなかったが、この道のお陰で浜頓別に最短時間でたどり着けたのだから有り難いと思う。

浜頓別からは興浜北線の調査をしながら枝幸まで南下。興浜北線はずっと海沿いを走っていて、ほぼ完全に国道と平行しているので調査は楽だったのだが、思っていたよりも距離が長くそこそこ時間がかかってしまい、枝幸に着いたのは12時くらいになってしまった。

ここからは興浜線未成線区間を通って興浜南線へと行きたい所ではあったが、翌日の深名線調査、そして滝川へのレンタカーの返却があるので今回は美幸線の調査をしつつ美深へ進む。美幸線は美深から仁宇布までが完成区間で、仁宇布から北見枝幸までは未成線である。今回は終点側からの調査となった。この日の内になんとしても美幸線の調査を終えないとレンタカーの返却が間に合わないのでいそいで調査を進める。といってもポイントを逃すのはいやなので橋梁やトンネルのあった部分は可能な限り近くまで行ってみた。その代わり駅予定地や築堤、高架橋などの部分は車から見える所も多かったが写真は撮らないで通り過ぎてしまった。まあこのくらいはやむを得ないだろう。ちょうど日曜日だったので仁宇布駅跡では有名な?線路跡をエンジン付き軌道自転車で走る「びふかトロッコ王国」が開催されていたが、この時点で4時になってしまっていたので往復1時間かかってしまうトロッコに乗っている時間はなく、名残惜しかったが先に進む。するとその後すぐに大雨が降ってきて、乗らなくて良かったと思った。

日が暮れる6時までに何とか美深にたどり着くことが出来、美深線の調査は終了。連日の車中泊に疲れたのでこの日は名寄のホテルに泊まることにして名寄へと向かう。


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