中国地方旅行記 5

4日目 3月31日(土)
今福線(未成線)調査、大雪で立ち往生、錦川鉄道

4日目乗車列車一覧
乗車駅 下車駅 乗車駅
発車時刻
下車駅
到着時刻
列車番号 種別 愛称 経由路線 車両形式*両数 備考 写真
錦町 岩国 17:40 18:35 544D 普通   錦川鉄道
錦川清流線
NT-2004 ワンマン
岩国 錦町 19:53 20:49 543D 普通   錦川鉄道
錦川清流線
NT-2002 ワンマン

前日に続き今福線廃線跡調査

まずは前日調査し残した旭町へ

「浜田ゆうひパーク」で仮眠した後、4時くらいに起きて朝食を食べた後前日調査し残した旭町へと向かう。計算では旭町に着いた頃にちょうど夜が明け始めるはずで、まだ真っ暗の道を進む。雨が降っていて、しかも道路にはこの先凍結注意などという標識が出ている。いやな予感がしてきた。

旭町に着いたら予定通り夜が明けてきた。しかし、浜田では雨だったものがここまで来ると雪に変わっている。これは大変である。雪と行ってもまだみぞれに近いもので、地面に付くとすぐ融けていたからまだ何とか先には進めそうだと思ったが、その雪のせいで旭町の集落の奥深くにあるという橋梁やトンネルは全く分からない。山際の道は舗装されていなくて、雪でぐしょぐしょになっていたのでそれ以上進むのは断念して、これ以上天候が悪化しないうちに先を急ぐことにした。

雪が酷くなり運転困難に しかし強引に進む
真っ白に雪化粧したC11形SL。三段峡

先を急ぐと行っても今福線の予定ルート沿いに進みたかったので、一旦引き返して県道52号を進む。しかしこの県道がくせ者で道幅はかなり狭く、しかも山沿いの道で進むに従って天候は完全に雪となり、道路上にも積もってきた。そして徳田の集落を通る頃にはノーマルタイヤでこれ以上進むのは危険すぎる状況になってきた。とは行っても今更引き返すことも出来ず、時速15キロほどの超スローペースで先に進む。途中ハンドルを切りすぎて危ない場面があったが低速とABSのお陰で何とか回避し、ようやく国道186号まで出ることが出来た。国道に出れば後は何とかなるだろうと思っていたのだが、その予想は外れ国道も車の通りは少なく、雪は少しはましになったもののやはり積もっている。しかしここまで来たらもう進むしかなく、時折ブレーキを強く踏み込んでみて制動力を確認しながら安全と思えるスピード(25〜35キロくらい?)で進む。波佐を過ぎるといよいよ県境越え。国道なのでトンネルで山を貫いているかと思いきや山越えの急カーブと急勾配の続くルートで、ますます慎重な運転が要求される。というより普通こんな状況で山越えするのはかなり危険だったかも知れない。もう少し勾配が旧だったら上れなかったかも。しかし意地で山越えを成功させ、芸北町に到着。雪の状況は相変わらずだったが、道路は平坦になり少し走りやすくなった。そして戸河内に向かって進むうちに道路上の積雪はなくなり、ノーマルタイヤでもまともに走れるようになった。

道路上の積雪がほとんど無くなってきたら、そこが目的地の三段峡だった。三段峡は現在営業中の可部線の終着駅で、今福線の起点となる予定だった駅である。駅前にSLがあったのだが、そのSLも雪まみれだった。駅は予想に反して有人駅(おそらく委託)で、列車の発着する時間帯以外は駅舎内には入れないようだった。また後で可部線に乗ってくる予定だったのでホームの写真などはそのときに撮ることにして先を急ぐべく戸河内へと向かう。

ようやく戸河内に到着したと思ったら高速に乗れない!

この先は戸河内インターから六日市インターまで高速で移動し、岩日北線の調査へとはいる予定だった。しかし戸河内インターの手前の電工案内板には「戸河内〜鹿野 冬用タイヤ規制」との表示が!これでは先に進めない。とりあえずインターのすぐ手前にある道の駅「来夢とごうち」で休憩することにする。ところが付いた時刻がまだ9時前だったため売店等が全く開いていない。車のタイヤは見るからにノーマルタイヤで、スタッドレスとは思えなかったがとりあえずレンタカーの営業所に確認の電話をしてみることにする。しかしこれがなかなかつながらない。まず携帯から電話したのだがなぜかダイヤルが終わったとたん切れてしまう。後で考えればおそらく基地局がいっぱいだったのだろう。仕方がないので公衆電話からかけるがこれまた話し中になったりして何度かかけ直す羽目になり、ようやくつながったのは車を借りた石見空港営業所ではなく松江かどこかの営業所だった。問い合わせてみるとノーマルタイヤであることはほぼ間違いないとのこと。しかもチェーン等も積んでいない。近くに営業所もないのでどうしようもない状況であることが判明。とりあえず帰りが予定より大幅に遅れそうだと伝えて電話を切る。もうこうなったら規制が解除されるのを待つしかない。車の中でしばらく待機することにする。

可部線に乗ることにしたものの乗り遅れ!

しばらく待っていると空が晴れてきた。これで規制も解除されるだろうと思ったがなかなか解除される気配がない。iモードで道路情報センターの電話番号を調べて問い合わせてみると、高速上ではまだ雪が降っているのでやむまでは解除にならない、さらに、引き返すルートとして検討していた浜田自動車道も全線冬用タイヤ規制がかかっていることが分かった。そうこうしているうちに時刻は12時をまわってしまった。ここまで来るともはやこの日に帰るのはあきらめた方がよいとの考えになった。いつまで待てば解除されるのか分からないので、とりあえずすぐ隣を走っている可部線に先に乗ってしまおうと考えた。とりあえず昼食を食べ、食べ終わっても解除されていなかったら可部線に乗ってくることに決定。

昼食を終えて戻ってみたが規制は解除されていなかったので、可部線に乗ることに決めて駅へと徒歩で移動。ところが少し歩いたところで忘れ物に気付いて車に戻ったために時間がぎりぎりになってしまった。駅の位置はすぐそこだと分かっていたのだが、そこに至る道が結構たいへんな道で、到達するのに時間がかかってしまった。そして駅手前まで来たとき踏み切りがなり出した。列車は駅に止まると分かっているのでなっている踏み切りを強行横断しても安全なのは分かっていたのだが、それでもやはりなっている踏み切りを乗り越えるのはまずいだろうと躊躇しているうちに列車が来てしまった。結局乗り遅れてしまったのである。しかし後で考えればこれは幸運だった。

規制が解除され錦町へ移動

車に戻ってしばらくすると規制は解除されたとのラジオが流れてきた。早速GOである。高速は山を貫いて走っていて、良くこんな所に道路を通したという感じである。戸河内よりも山の中を走っているため道路上はまだみぞれが降っている箇所もあったので80キロで慎重に走る。途中吉和SAについた頃には天候も回復し、六日市インターから錦町への県境越えも全く問題なかった。

錦町に着いたが、時刻はすでに4時過ぎ。このまま岩日北線の調査を始めても六日町までたどり着けないと思い、とりあえず錦川鉄道に乗ってしまおうと考えた。しかし運悪く駅に着いたときちょうど列車が出発するところで、これに乗れなかったので次の列車まで1時間待つことになってしまった。でもこの時間を無駄にすることなく駅のすぐ先の岩日北線が通る予定だったトンネルなどを調べて写真を撮っておいた。

錦町から錦川鉄道で岩国まで往復

錦町駅駅舎。 錦町駅の先に口を開ける岩日北線の広瀬トンネル。
錦町駅構内。車庫が隣接している。   錦町駅より岩国方を見る。
錦町駅駅名標。国鉄時代と変わらないオーソドックスなものだった。 錦川鉄道NT-2004形車内。

錦町駅の無料駐車場に車を止めて列車で岩国を目指す。

錦町駅はホームが地面よりもかなり高い位置にあった。ホームに接しているのは1線のみで他の線路は全て車両の留置に使われていた。終着駅で車庫もある駅にしては発着線が1本というのは意外だった。

錦町から乗ったNT-2004形の車内はボックスシート主体の座席配置だった。第3セクターでもロングシートの車両が増えているが、車窓を楽しむためにも、車内で落ち着けるようにするためにも、このような車両をこれからも作っていって欲しいと思う。

錦町を出て2つ目の駅である河山駅は明らかに行き違い可能駅だった様子だが行き違い設備は撤去されていて、駅進入時の35キロ制限のみが残っていた。

路盤はかなり悪いようでスピードを出すと車内はかなり揺れる。北河内が最初(錦川清流線では唯一)の行き違い可能駅で、ここで行き違いが行われる。この駅の前だったか後だったか定かではないが線路は錦川に沿ってカーブしながら進む景色の良い区間を通る。しかしある意味これは線路規格が低く長いトンネルを避けた結果のルートであり、線形が悪く災害に弱いとも言える。この後調査した岩日北線は公団の建設した高規格路線だが、それと一体となる予定だった南線部分がこのような路線では北線が完成しても高速新線として使うわけにも行かず、結局廃止の運命をたどったのではないかと思われた。

新幹線と接続する御庄駅を出るとすぐに場内信号が現れ、しばらく進むとJR岩徳線と合流する。合流点に駅はなく、信号場(名前は忘れた)になっている。錦町を出たのが17時40分であり、岩国に着く前に日が暮れてしまうだろうと思っていたが、この辺りまで何とか明かりが残っていて全線で景色を見ることが出来たのは幸運だった。

この先は岩国までJR岩徳線の線路に乗り入れる。川西、西岩国の両JR駅にも停車するのでこの区間は毎時1本の岩徳線の列車に加えて1〜2時間に1本の錦川鉄道の列車も利用できるので少しは便利になっているようだ。JRの定期でそのまま乗れるようだった。

岩国に着いた列車はすぐに錦町に向けて折り返すのだが、同じ車両で折り返してもつまらないし、夕食を食べていなかったので1本後の列車で引き返すことにする。本当は岩国のホテルで宿泊しても良かったのだが、費用を節約したかったのと、翌朝夜が明けると同時に廃線跡調査に入り、出来るだけ早くレンタカーを返却してその後の列車の選択肢を増やしたかったので錦町に引き返すことにしたのである。閉まりかけていたうどん屋に入って夕食を摂ると後はもうすることが無くなってしまった。まだ7時を過ぎたばかりの時間なのに駅前に時間をつぶせそうな場所もなく、仕方がないので駅で時間を潰す。

錦川鉄道の車両は全ての車両が異なる塗色になっているようで、岩国まで来たときの車両は緑だったのが帰りの錦町行きは青の塗色だった。しかし車内には大きな違いはなかったように記憶している。行きの車両もこの帰りの車両も単行ワンマン運転だったが、岩国駅の時刻表にはワンマンの印のない便もあり、この後の錦町行き最終や朝の岩国行きなどがワンマンではない列車のようだ。これらの列車は2両になるのではないかと思われ、最終列車まで待って乗ってみたい気もしたが岩国であと1時間以上も時間を潰す気にはなれなかったし、翌日早起きしたかったのでそれはあきらめた。

錦町で止めておいた車に戻り、すぐ近くにある道の駅「ピュアラインにしき」に移動してこの日も車中泊とする。ここの駐車場で宿泊していた車はキャンピングカーで宿泊していた家族と夜遅く来て少し仮眠して朝早くに出ていった車だけで、このような山間にある道の駅では駐車場に止めて仮眠すると言うような人はほとんどいないと分かった。道の駅の方も夜中はトイレが使えるのみで、交通情報版すら施錠された建物の中にあって見ることが出来ない。自動販売機もジュースとアイスクリームが買えるだけで食べ物が手に入らない。近くにコンビニも見あたらない。岩国で食べ物を買い込んでこなかったら空腹に耐えられなかったかも知れないところだった。


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