中国地方旅行記 3

2日目 3月29日(木) 後編
美祢線、美祢線大嶺支線(廃線)、山陰本線仙崎支線

重要な貨物線だった美祢線

南大嶺駅遠景。広い構内が昔は何本も線路がひしめいていたことを示している。 南大嶺駅駅舎。当然無人。
大嶺支線のハイライトである橋梁。 大嶺駅跡。

厚狭で美祢線の普通列車に乗り換え。発車ぎりぎりに乗ったために席に座ることが出来なかったがどうせ南大嶺で降りるので気にしない。むしろ景色がよく見えるから立っていた方がいいと前向きに考えることにする。

南大嶺駅で大嶺支線の廃線跡調査をするために下車。私の他に乗降客はいなかった。南大嶺があれば大嶺もあるというもので、昔はここから大嶺までの支線が分岐していた。その廃線跡を徒歩で調査してきた。路盤は完全に残っていて、草も背丈が低いものばかりで非常に歩きやすかった。大嶺駅跡は埋め立てが行われ、その一角に郵便局が建っていた。

この廃線跡調査については廃線跡調査のページに詳しく載せてあります。興味のある人は是非見てください。

再び南大嶺に戻り、美祢線を北上する。美祢線は石灰石?(だったと思う)輸送のために作られた線で、昔は長大編成の貨物列車が頻繁に通る貨物路線だった。上記の大嶺支線も貨物輸送のための線で、貨物が無くなれば廃止されるのもやむを得なかった路線である。今は保守経費削減のため所々に非常に厳しい速度制限があるようなローカル線になってしまっているが、それでも未だに幹線扱いになっているところがかつての繁栄を示していると言えるのではないだろうか。貨物輸送もまだ辛うじて残っているようだったが、石灰石輸送はすでに廃止されたと記憶している。

美祢から先は昨晩の寝不足と午前中の強行日程、更に徒歩による廃線跡調査と疲れがたまっていたためにうとうとしてしまってあまり記憶がない。大勢の人が降りる気配に目を覚ますと長門市駅だった。しかし私はここでは降りず、終着の仙崎まで乗り通す。

僅か1駅の仙崎支線

結構風格のある仙崎駅駅舎。 仙崎駅ホーム(この先が車止め)。かなり長いホームである。
仙崎駅ホームより長門市方向を見る。昔は隣にもう1線あったような跡がある。

長門市から仙崎への僅か1駅の路線は美祢線かと思いきや山陰本線の支線である。しかし美祢線の列車を直通させた方が運用上都合がよいのでこのような直通ダイヤになっているのだろう。本数はかなり少なく、いつ廃線になってもおかしくないように思う。長門市を出て仙崎支線にはいると線路はかなり草むしている。すぐに周りは田園風景になり、線路はまっすぐに延びている。しばらく進むと家並みの中に入り、少しカーブするとその先が仙崎駅だった。仙崎駅は線路1本のみの折り返し駅。しかし駅舎はわりと立派な建物だった。ホームもかなり長く(6両分くらい?)、昔はにぎわっていたのかも知れない。

山陰本線で宿泊先の玉江駅まで移動

長門市駅駅舎。もう少し工夫が欲しい。 玉江駅駅舎。無人駅だった。

すぐに長門市駅に引き返し、あとは宿泊先のユースの最寄り駅である玉江駅まで移動するだけである。しかしこの乗り継ぎが悪い。約1時間の待ち時間が発生してしまった。田舎の無人駅ならその辺りを散歩してくるのも気持ちよいかもしれないが、このような都市の駅では散歩する気も起きない。仕方がないので駅のベンチで時間を潰す。約1時間30分おきにしか列車がない時刻表を見ると、これでも天下の山陰本線かといいたくなる。近代化(複線電化)から取り残された結果である。是非とも高速化が必要である。今度(2001年7月らしい)特急に新型車両が入るのでこれを機に山陰本線の活性化をしていってもらいたいものある。

やっと来た列車に乗って玉江駅まで移動。景色はあまり覚えていない。山陰本線は萩の町をぐるっと半周する感じに通っていて、その半円の両端に玉江駅と東萩駅があり、その2つの駅の真ん中あたりに萩駅がある。なかなか面白い線路の敷き方である(遠回りしているだけとも言う)。

玉江駅からしばらく歩いて萩ユースホステルに到着。本日はここに宿泊である。予想に反して部屋は満室だったが、同室の人たちは話しやすい人が多く楽しかった。


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