のと鉄道 4

2日目 2月27日(火)後編
輪島〜能登三井〜七尾〜金沢〜岐阜

能登三井でしばらく撮影

もう1本のホームは雪に埋もれ、信号機も使用不可に 能登三井向こう側のホームへ渡る階段もふさがれていた 能登三井輪島で来た列車の折り返しである急行「能登路」で帰るか1本あとの普通列車にするか悩んだが、折り返しの30分の間に見たい部分は見てしまったのでそのまま「能登路」で折り返すことにする。しかしこのまま七尾まで行ってしまうのもなんだか勿体ないので能登三井で一度下車することにした。

能登三井駅駅舎駅手前の踏み切りから構内を見る 能登三井能登三井は行き違い可能な構造になっていたが行き違い設備は今は使用されていなかった。信号等も使えないようになっていて、臨時列車で使用することもできないようである。輪島駅も1線のみしか使われていなかったので穴水・輪島間には1本の列車しか入れないことになる。これではダイヤが閑散とするはずである。

とまれの看板にはJR西日本の文字(この写真では判別不能ですが・・)能登三井駅駅舎内には使われなくなった制御板がしばらく駅を撮影したあと普通列車でもう一度輪島に戻ろうかと思っていたが、輪島行き列車は駅から少し離れた場所で撮影し、その戻りの列車で七尾まで行くことにする。輪島行きの列車は予想通り1両のみ。視界を遮る物が少なく、適度に雪も残っていてなかなかよかったと思う。

撮影を終えて駅に戻る。駅は無人駅だが、そのあとを借りて食堂が営業していたのでちょうど昼食時だったため時間つぶしをかねて食事をとる。注文してからできあがるまでに少々時間がかかったので列車に間に合うか少し心配になってしまったが何とか間に合った。地元民を対象にした食堂のため安くて豪華な食事を食べられた。穴水・輪島間には廃止後また来たいと思っているが、そのときまた寄ってみたいと思った。

普通列車で七尾へ 穴水では素早い連結作業

七尾行き列車は70%程度の乗車率。思ったほどではない。再びゆっくりした速度で山を越えて穴水に到着。時刻表ではこの列車は穴水行きで、七尾まで行くには穴水で珠洲方面から来る列車に乗り換えるように思われたが案内放送によるとこの列車は珠洲からの列車と併結されて七尾まで行くらしい。穴水では30分以上停車することになるが、穴水に到着しても半分程度の人はそのまま乗っていたので私もそのまま乗っていることにする。

到着してから15分ほど経つと運転手と係員の2人が乗り込んできて、一旦扉を閉めて構内をバックし始める。ずんずんバックして七尾線輪島方面への線路に入り、構内を出た辺りまで進んで停車する。ここでしばらく待機していると隣の能登線を珠洲方面から来た列車が通過し、駅へと入っていく。そしてその列車が駅に停車したのを見届けるとこちらも同じ線路へと入っていく。そしてその列車と併結。そのまま七尾へと出発したのであった。能登線からの列車が到着してから併結作業を終えて出発するまでの時間は3分。能登線からの列車の後ろについてから実際の連結作業を終えるまでの時間は僅か1分少々である。自動幌連結装置などを備えたJRの最新車両も顔負けの実に素早い作業であった。所でこの作業、一旦バックしたり再び構内に入っていくときは誘導信号(あるいは入れ替え信号)に従っているのだと思われるが、40キロほどの速度を出していた。入れ替え時の制限速度はJRでは15キロのはずなのだがこんな高速を出してよいのだろうか。規則違反の気がするが・・・。

七尾で七尾港線廃線跡調査

七尾駅のJRのと鉄道連絡改札七尾駅駅舎七尾は昨日乗り換えで一旦下車した駅である。七尾・和倉温泉間はJR線であるが、のと鉄道の列車は全てこの七尾まで直通運転されている。駅はちょうど改装工事の真っ最中で、窓口などは仮の場所での営業であった。能登半島の玄関口としてこれからも発展していって欲しいものである。

七尾港へと続く廃線跡埠頭手前に残るレール 七尾港ところでかつてここ七尾から七尾港までの貨物線が出ていたことを本で知り、この旅行のついでに調べてみることにした。実際に歩いてみると駅から数百メートルは架線が張られて列車の入れ替えに使われているらしいし、そこから先も路盤はほぼそのまま残っていて驚いた。港の付近は何本ものレールに分かれて桟橋の先端まで行っていたようだが、この部分は殆ど全て柵で覆われ、何やら工事が行われていたので、近い将来大きく変わってしまうことが予想された。それでも埠頭への引き込み線のレールが僅かに残っている部分があり、来てよかったと思った。

この調査について詳しくは廃線跡調査(七尾港線)の項を参照してください。

特急を乗り継いで岐阜へと帰る

夕闇迫る七尾駅にやってきたサンダーバード廃線跡調査が思いのほか長引いてしまって予定していた15時47分発の快速に乗れなくなってしまった。この列車に間に合えば金沢から「加越」に乗れたのだがまあ仕方がない。金沢方面への最終の特急であるサンダーバード42号に乗って金沢へと出る。来たときと同じようにがらがらの車内だった。

金沢では「しらさぎ」までに1時間近くの時間がある。来たときも少々時間があったがどうも名古屋方面からの乗り継ぎが悪い気がする。米原まで特急を利用してそのあと普通列車で岐阜まで帰れば特急料金が1段階安くなって好都合だったのだが、時間も遅くなってしまったので「しらさぎ」で岐阜まで帰ることにする。

「しらさぎ」は来たときよりは空いていたがそれでもわりと混雑していた。行きは10両だったが帰りは増結なしの7両だったのもあるかも知れない。ビジネスマンの利用が非常に多い気がした。金沢で軽食を買って乗り込んだのだが量が足りず、車内販売で駅弁を買うことになってしまった。ところがお寿司しか無く、しかも選択をミスしてとてもおいしいと言えるものではなかった。これで1000円程度とられたのだからたまらない。駅弁を食べる人が少なくなっているのもよく分かる。駅弁屋ももっとおいしくて安い駅弁を作るように努力して欲しいものである。

ボンネット車両のしらさぎ 岐阜長浜手前では交流から直流への切り替えのためのデッドセクションがある。ここを通過するときには車内灯が一旦消えて非常灯のみになるのだが、夜中だったために車内が真っ暗になり貴重な体験ができた。デッドセクションは今まで何度も通過しているが夜中に電車で通過したのは初めての体験だった。

岐阜で下車したあと、急いで列車の一番後ろまで走り写真を撮る。というのも金沢では並ばなければならなかったので写真を撮れなかったのだが、そのときに先頭車がボンネットタイプであることが分かり、いつまで残るか分からないので是非とっておかないとと思ったのである。何とか写真に撮ることができ一安心。この後バスで実家へと帰った。


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