乗車駅 | 下車駅 | 乗車駅 発車時刻 |
下車駅 到着時刻 |
列車番号 | 種別 | 愛称 | 経由路線 | 車両形式*両数 | 備考 | 写真 |
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札幌 | 網走 | 22:09 (前夜) |
6:15 | 19D | 特急 | オホーツク9号 | 函館本線 石北本線 |
キハ183*5 +スハネフ14*1 |
寝台車を気動車で挟み込み | |
網走 | 上川 | 6:23 | 9:24 | 12D | 特急 | オホーツク2号 | 石北本線 | キハ183*6 | なし | |
上川 | 遠軽 | 9:42 | 10:53 | 11D | 特急 | オホーツク1号 | 石北本線 | キハ183*5 | なし | |
遠軽 | 美幌 | 13:31 | 15:39 | 4665D | 普通 | 石北本線 | キハ40*1 | ワンマン | なし | |
美幌 | 網走 | 16:29 | 17:03 | 4667D | 普通 | 石北本線 | キハ40*2 | ワンマン |
周りが騒がしくて目が覚めると列車は女満別に到着するところだった。そしてすぐにもうすぐ網走に到着するという放送がかかる。まだ眠かったので起きあがらないでいたらご丁寧に車掌が起こしに来てくれた。こちらとしては到着直前まで可能な限り横になっていたかったのだが起こしに来てくれては仕方がないので起きあがり、寝間着(寝台車備え付けの浴衣)から服に着替える。
荷物をまとめ終えると丁度網走に到着。下車したあと早速窓口に行き、オホーツク2号のグリーン指定券を取る。そしてすぐにすでに停車していた札幌行きオホーツク2号に乗車。夜行で今来たばかりの線を今度はゆったりと景色を楽しみながら上川まで引き返す。上川までは3時間とかなりの時間がかかる。
北見では北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の列車が出発待ちをしていた。この線は北海道で唯一廃止対象の国鉄線を第3セクター鉄道として継続運営している線で、閑散路線ばかりのうえ冬季対策費が多くかかる北海道で頑張っているその努力は高く評価されるべきだと思う。機会があったら是非乗ってみたかったが今回は他に優先して行っておきたい場所が多く断念した。
留辺蘂を出ると山越えにかかる、途中遠軽でスイッチバックし上川へかけて再び山越えにはいる。
上川で降りたのは特別この駅がどうだからというわけではなく、折り返しの列車の都合が良かったからというだけなのだが、一応駅前に出てみると、層雲峡の文字が飛び込んでくる。この駅から層雲峡へのバスが出ているようだ。
上川は駅前を少し眺めただけですぐにオホーツク1号で折り返す。遠軽まで再び山越え。中越の次にある上越信号場は1975年までは駅だったそうだが、まだ駅名表が残っていた。上越を過ぎると奥白滝。ここから白滝と付く駅が5つも続く。しかし実際に利用がありそうな駅は白滝くらい。この区間は駅はいくつかあるのだが全ての駅に停車する普通列車は1往復しかなく、しかも下り列車は早朝のかなり利用しづらい時間帯である。普通乗車券のみで乗れる列車はそのほかには特別快速「きたみ」があるのみ。白滝・遠軽間は普通列車がもう少しあるが、これらは普通となっていても多くの駅は通過してしまう。というのも駅はあるのだが周りに民家など無く、利用者は全くないといって良い状態だからである。これらの駅はもはや列車の行き違いのための信号場の役割しかないといって良いだろう。実際に列車の中から見てみても、一部平行している道路沿いにわずかに牧場や売店のようなものはあるようだが、普通の民家は全く見あたらなかった。しかしこの山中に高速道路を建設中なのを発見。主要ルートである国道39号は線路と離れて層雲峡の方を通っているのだが、高速は線路に沿って建設するつもりのようだ。しかしこの北海道に高速道路が果たして必要なのだろうか。普通の国道でもみんな平気で80キロは出しているし、100キロを超えている車も珍しくない。高速を造ってもわざわざ高速料金払って使う意味が全くない。税金の無駄遣いもいいところだ。それでももし作るのなら最高速度150キロくらいにしないと意味はないと思う。もっともそんなもの作られたら鉄道は太刀打ちできないが。(すでに太刀打ちできてない・・)
山越えが終わると程なく遠軽に到着。とりあえずここで下車する。この駅はそれほど険しい地形上にあるわけでもないのにスイッチバックの構造をしている珍しい駅。もとは名寄から興部、湧別を通ってきた名寄本線が先に完成し、そこに上川を通ってきた石北本線が接続した。その名寄本線は今はなく、奇妙なスイッチバック駅が完成してしまったというわけである。少し時間があったので名寄本線の廃線跡に沿って少し歩く。遠軽駅は山際の少し小高いところにあるのだが、名寄本線跡はそのまま山際のやや高所をすすみ、山がとぎれた所で平地に出ていた。そのあとはまっすぐ進んでいたのだろうがもはやよく分からなくなっていた。名寄本線は比較的廃線が遅かったのだがそれでももはや風化しつつあることを考えると他の廃線跡も出来るだけ早く訪ねてみたいものだと思う。
遠軽からは特急で北見か美幌まで行こうかと思っていたが、時刻表を眺めていてそのすぐ後の普通に乗れば生田原・金華間にある常紋信号場に停車するのではないかと思い普通列車に変更。常紋信号場は常紋峠の峠付近にあり、スイッチバック式の信号場である。しかもこのすぐ北にある常紋トンネルは囚人労働で造られたトンネルであり、建設中になくなった多くの遺体がコンクリートの中に埋められている噂で有名である(これはどうやら事実らしい)。列車は常紋峠に向かってゆっくりと登っていく。その常紋トンネルを抜けるといよいよ常紋信号場。しかし信号機は本線場内進行を示していて、無念にも信号場をあっさり通過。撮影に来ていた人が1人いたが、待避している列車の姿もなかった。よくよく時刻表を見るとどうやら7月いっぱいまではここで待避が行われていたようで、つくづく残念に思った。
北見での途中下車はやめ、そのまま美幌まで乗る。美幌は阿寒湖の近くの北見相生までを結ぶ相生線が出ていた駅である。駅舎内に交通記念館があり、相生線に関する資料が展示してあるとあったので降りてみたのだが、なんということか記念館には本日休館の看板が。夏休みくらい毎日開いておいて欲しいところである。その廃線跡を少しの間だけ歩いてみる。しかしあまり時間がなかったのと雨が降ってきてしまったのですぐに引き返す。駅前は道路の拡張工事中だった。
美幌駅に入って来た普通列車は2両編成だったが学生で満員。座れるか一瞬心配したがほとんどがこの駅で降りてしまい発車するときはがらがらだった。雨の中を網走へ向かう。しかしこの時間帯に特急が全くないのはどういうことか。どうも特急の時間帯のバランスが悪いように思う。旭川での宗谷本線から石北本線への連絡も悪く、このせいで石北本線の予定はかなり立てにくかった。ただでさえ列車本数が少ないのだからもう少し何とかして欲しいと思う。
少し先の釧網本線北浜にはユースホステルもあったが、翌日はレンタカーで廃線跡探索の予定で充分な睡眠が必要だったし、比較的朝早い出発予定を立てていたのでこの日は網走駅近くのビジネスホテルに宿泊した。
早めに寝ようと思っていたのだがホテルが列車車庫の前にあり、駅も見える場所だったので列車の発着の度に気になって覗いてしまった。21時くらいからキハ183系への寝台車の組み込み作業が始まり、約1時間くらいじっくり見てしまった。寝台車を車庫から引き出してきて側線で組み込みを行ったあともう一度編成全体を車庫へ入れるなど結構大変そうだった。