北海道旅行記 4

4日目 8月27日(日)
〜札幌〜深川〜朱鞠内〜名寄〜旭川〜深川〜滝川〜新十津川〜札幌〜

4日目乗車列車一覧
乗車駅 下車駅 乗車駅
発車時刻
下車駅
到着時刻
列車番号 種別 愛称 経由路線 車両形式*両数 備考 写真
しらぬか
白糠
札幌 23:28
(前日)
5:50 4014D 特急 おおぞら14号 根室本線
石勝線
千歳線
函館本線
キハ183*3
+ 14系寝台*2
寝台車を気動車で挟み込み  札幌にて
札幌 深川 6:54 8:03 2001M 特急 ライラック1号 函館本線 787*4   札幌にて
深川 ほろかない
幌加内
8:30 9:40   快速   JR北海道バス
深名線
?(中型観光バスタイプ) バス路線 なし
幌加内 しゅまりない
朱鞠内
9:50 10:36   普通   JR北海道バス
深名線
?(中型観光バスタイプ) バス路線 なし
湖畔 名寄 12:28 13:22   普通   JR北海道バス
深名線
?(大型観光バスタイプ) バス路線 名寄にて
名寄 旭川 14:22 15:47 3326D 快速 なよろ8号 宗谷本線 キハ40*1 ワンマン 旭川にて
旭川 深川 16:00 16:18 3020M 特急 スーパーホワイトアロー20号 函館本線 785*6   旭川にて
深川 滝川 16:38 16:58 2262M 普通   函館本線 711*?(4~8)   深川にて
滝川 新十津川役場前 17:45? ?   普通   JR北海道バス
石狩線
? バス路線 なし
新十津川 石狩当別 19:21 20:53 5434D 普通   札沼線 キハ40*1 ワンマン 石狩当別にて
石狩当別 札幌 21:06 21:48 628D 普通   札沼線 キハ40-330
+キハ48-1330
+キハ40-330
+キハ143
+キハ144
+キハ143
  札幌にて
札幌 網走 22:09 6:15
(翌朝)
19D 特急 オホーツク9号 函館本線
石北本線
183*5
+スハネフ14*1
寝台車を気動車で挟み込み 札幌にて
午前中は深名線へ

夜行列車で早朝の札幌に降り立つ。昨日帯広で予定の列車に乗り遅れ、その後の予定が大幅に狂ってしまっていて、この日の予定もまだはっきりとは決めていなかった。それでも、前日に白糠での時間を利用していろいろと案は考えてあったので、そのうちどの案にしようかとベンチで休憩しながら考える。有力な案は函館本線山線と深名線だったが、深名線を見てくると深川で到着するSL「すずらん」を出迎えられることを発見。すずらんは土日運転でこの旅行中に見るチャンスは今日が最後だったので天気が良かったこともあり深名線に行くことにする。

深川駅予定が決まったら早速行動開始。まだ朝食は食べていなかったが、深川8時30分発の快速バスに乗らなければいけないので急いでライラック1号に飛び乗る。深川まで1時間強。札幌、旭川間は30分おきに特急が走っていて非常に利用しやすい。指定席もあるにはあるがほとんどが自由席で気軽に利用する列車という感じだ。車掌はまわっては来たが特急券のチェックはしない。この後何度かこの区間の特急を利用したが検札は1度も無かった。特急料金安いとはいえ検札しなくてもいいのだろうか。

この後はJR北海道の運行する深名線代替バスで深名線廃線跡調査をしてきました。深名線代替バスはあまりの過疎地域のため代替バスの引き受け手が無く、仕方なくJR北海道が自社で運行しているらしい。おかげでフリー切符が使えて大助かり。他の代替バスもフリー切符さえ使えれば積極的に乗ろうという気になるのだが、フリー切符が使えないとなるとどうしても行動の自由が利くレンタカーを選んでしまう。

関連ページ深名線廃線跡調査の詳細は廃線跡調査の深名線ページを見てください。

名寄にて

駅南の道路橋から見た名寄駅名寄駅南の跨線橋から南を見る。左に分かれる線路は旧名寄本線でこのすぐ先でとぎれている。深名線調査を終えて、13時22分に名寄到着。列車との接続が悪く約1時間の待ち時間があるので、少し南へ行った旧名寄本線の線路上に蒸気機関車が展示されているという情報を持っていたので行ってみることにする。駅から300メートルほど?南へ行った跨線橋からは駅の様子、名寄本線が分岐していた様子がよく分かった。でも深名線の分岐していた跡はよく分からなかった。遠くから機関車の汽笛が聞こえてきた。展示されている機関車であることはほぼ間違いないだろう。でもその汽笛はかなり遠くから聞こえてくる感じだ。歩けばあと10分くらいはかかりそうに思った。まだ昼食を取っていなかったので昼食の時間もとりたかったので機関車を見に行くのはあきらめることにして駅へ引き返す。また名寄本線の廃線跡調査にも来たいので機関車はそのときに見学しようと自分を納得させる。

名寄駅に戻り、駅前の食堂で昼食を取る。北海道では駅前にもまともな食堂すらないことが多かったが名寄は新しい入りやすい雰囲気の食堂があって助かった。列車の時間まで余り余裕が無くて少し焦ったが何とか間に合った。

名寄から快速で旭川へ

名寄からは快速「なよろ8号」で旭川へ出る。愛称付き快速ではあるが実体は旧式のキハ40単行ワンマンのローカル列車に過ぎなかった。これが宗谷本線の実体であることを思い知らされる。乗り込んだのが遅かったのでボックスシートを取ることはできず、ドア付近のロングシートに座る。よって景色はあまり見えなかったので居眠りモードに入る。車内のことはあまり覚えていない。

特急で深川へ

深川駅に侵入してきた「すずらん」旭川からは札幌へ向けて頻繁に運転されている特急を利用して「すずらん」を出迎えるために朝に一度利用した深川へ移動。せっかくのスーパーホワイトアローも乗車時間が短すぎて十分堪能できなかった。

機関車はホームをはずれて停車 深川深川駅の跨線橋でSL「すずらん」の到着を出迎える。程なくしてバック運転のC11を先頭にして「すずらん」が到着。写真に納める。「すずらん」は終点留萌に転車台が無いため片道はバック運転になってしまうのだが、やっぱりバック運転は止めて欲しいと個人的に思った。本当は乗ってみたかったのだがこれに乗ってしまうと今回の旅行で行きたいと思っていたところをまわりきれなくなるため断念したのだが、次に北海道に来たときにまだ走っていたら是非乗ってみたいと思った。

札沼線に乗るため新十津川へ

SLの到着を見届けるとすぐにやってきた普通列車に乗り込み滝川へ移動。滝川も1日目に利用した駅である。これから札沼線へ行けば新十津川発の最終列車に間に合ううえ、夜行の「オホーツク」出発の少し前の丁度良い時間に札幌に着けることが判明したため、暗くて景色の見えないのは覚悟でとりあえず乗っておこうと思ったのである。しかし問題は滝川から新十津川までである。距離は5キロほど?で歩いて歩けない距離ではないらしいが歩くにはちと遠い。バスがあると聞いていたのでバスで行こうと思っていたのだが、そのバスの時刻が分からない。余裕時間はかなりあったが、もしバスがなければ(ルートもよく分からないのに歩く気にもならないので)札沼線は諦めるつもりでいた。

新十津川駅前にあったマップ。滝川につき、バスの時刻を見てみるとどうやらかなり本数はあるようだった。浦臼、砂川、石狩月形方面へ行くバスは全て駅から少し離れた新十津川役場前を通るようだった。でも路線図を見ると1系統だけ新十津川駅を経由するように書いてあったのでそのバスまで待つことにする。暫く待って新十津川経由と路線図に書いてあったバスに乗り込む。バスは市街地を出るとすぐに大きな川(石狩川)にさしかかった。札沼線を滝川まで延ばせばかなり便利になることは分かるがこの川が簡単には越えられないので実現しないのだと思った。川を渡るとすぐに新十津川役場前についた。でもこのバスは新十津川駅によるものと思っていたのでここでは降りない。しかしバスはそのまま大通りを進む。つぎは〜高校前とかいうアナウンスが流れる。事前に見ておいた路線図を思い浮かべ、これはどうやら新十津川には寄らなさそうだと判断。次の停留所で急いで降りる。新十津川駅は役場前から大通りに直角に入って行ったところにあった。駅前にバス停はなかったのでどうやら今は駅前を経由するバスはないようだ。滝川にあった路線図はかなり古いものなのだろう。紛らわしいことだ。

新十津川駅は1面1線の小さな駅で、側線も何もない。札沼線は元は留萌本線石狩沼田までつながっていた路線なのだが、災害(洪水?)で線路が不通になり、それまでの利用状況が芳しくなかったので復旧をせず、そのまま新十津川〜石狩沼田間が廃線になってしまった経緯がある。だからこんな小さな駅が終着駅になってしまったのである。新十津川駅に着きはしたがまだ列車までに1時間以上あるので、廃線跡が残っていないかと思って少し歩いてみることにする。川まで歩くとそこには立派はガーター橋が残っていた。

関連ページ廃線跡調査について詳しくは札沼線廃線跡調査

夜の札沼線 石狩当別までは完全なローカル線

新十津川駅ホームから車止め方を望む廃線跡調査を終えて駅へ戻ったときにはすでに日は完全に沈んでしまい、あたりは真っ暗。それでもまだ列車の時間まで余裕があったので食料の買い出しに町へ出てみることにする。運良く新十津川役場前停留所あたりにコンビニを発見。食料を調達する。

駅へ戻る道で2、3人の明らかに旅行者と分かる、荷物の多い人とすれ違う。それで駅に列車が到着したと分かった。でも今の人たちを見ると利用者は全て鉄道ファンのような人たちであり、地元の人の利用はなかったようだ。

駅には予想通り列車が到着していた。ワンマン単行のディーゼルカーなのも予想通り。新十津川行きとして来た列車がそのまま折り返す。列車の扉が閉まっていたので運転手に存在をアピールして開けてもらう。私が乗り込むと再び扉は閉められた。いちいち閉めるのは長時間開けておくと寒気が車内に入ってしまうためだろう。半自動扱いはおそらく出来ないのだろう。荷物を席においてから再び外に出て撮影しようと思っていた私にとっては自由に動けなくなってしまってつらかった。

車内から新十津川駅を見る。当然駅員などいない。車内には先客が1人ほど。おそらく来た列車に乗っていてそのまま折り返すのだろう。発車時間近くになって地元の人と見える1人が乗ってきた。そして発車。

新十津川はある程度規模のある町に見えたが、駅を発車するとすぐに車窓は田園地帯になってしまった。といっても左手にはかなりの電灯がきらめいているのでどうやら線路を挟んで東側が町、西側は田園になっているようだ。日はすっかり暮れてしまったので遠くの景色は全く分からないのが残念だった。

列車は各駅に停車していくが乗降客は全くない。駅の近くでもそんなに民家が多いようには見えないし、列車も1日3往復しかないのではまあ納得であるが。

昔は行き違いできたと思われる駅でも行き違い設備は外されてしまってる。石狩月形まで来てやっと行き違い設備のある駅に来た。石狩月形〜新十津川は相当な距離があるが全く行き違いはできないようだ。この区間の列車本数は新十津川まで行くものが3往復、途中の浦臼までの列車が4往復あるが行き違い設備がなければこれ以上増発したくともできないと思う。もっともJRは増発したいとは全く思わないだろうし、廃止される可能性もかなり高いといわざるを得ない状況である。

石狩月形でやっと3人の乗車があった。またこの駅は(タブレット取り扱いのためだろうが)駅員もいて比較的大きな駅のようだった。また、ここから自動閉塞になっていた。

北海道医療大学からはがらっと雰囲気が変わり通勤路線へ

北海道医療大学はこの線で初めて見る近代的な駅だった。ホームもかなり長く、長編成に対応しているようだ。通過式の線の他に行き止まり式の線があり、実際ここで折り返す列車も多い。

石狩当別で出発を待つ長編成の札幌行き普通列車石狩当別で乗り換え。ここから(あるいは北海道医療大学から)先は列車本数が相当増え、札幌の通勤圏に入る。乗り換え先の列車は6両もの長編成で待っていた。しかもその編成が凄い。キハ40-330+キハ48-1330+キハ40-330+キハ143+キハ144+キハ143という編成で、キハ40は両運転台、他の車両も運転台付き(キハ144は付いてなかったかも)なので運転台の数が異様に多い。札沼線は近年輸送料が急激に増えているために北海道中から余っている気動車をかき集め、更に余っていた50系客車を気動車に改造(これがキハ141系列)して投入したそうで、それらを手当たり次第つないだためにこんな編成ができあがったのだろう。キハ40系列の前3両は全てロングシートだった。車内は新車のようなきれいさ。後で分かったがこれはそれまで宗谷本線で走っていた急行に使われていた車両をロングシートに改造したもので、まだ札沼線に導入されたばかりだったようだ。

石狩当別からは今までより乗客は増えたのだろうが、私は一番前に乗っていたため他の車両のことはよく分からない。ちなみに一番前の車両に乗ってくる客はほとんどいなかった。まあ元々こんな時間から札幌に向かう人は少ないだろうからこの長編成は車両回送も兼ねているのだろう。対向列車はかなり乗車があった。

石狩当別から札幌までは駅間距離がかなり短くなったにもかかわらず各駅に行き違い設備がある。それだけ列車本数が多いのだろう。しかもかなりの駅がホームを改装してあるらしく明るいホームになっていた。気付くと線路が複線になっている。どこから複線になったのかはよく覚えていないが、新琴似あたりからだったと思う。

桑園で函館本線に接続。路線名称的にはここから札幌までは函館本線となる。でも札沼線のレールは函館本線とは別に敷かれていて、実際には函館本線と平行して札幌まで進む。札幌では折り返しとなる列車に乗るために多くの人が列を作って待っていた。札幌で3両ずつに切り離しが行われ、キハ141系列の3両のみとなった折り返しの列車はかなりの立ち客をのせて出発していった。

私はほとんど待ち時間無く網走行き「オホーツク9号」に乗り込む。この列車も他の道内の夜行特急と同じ183系気動車の中間に14系寝台客車を挟み込んだ編成だった。


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