湧網線廃線跡調査 3

調査結果

2000年8月29日

常呂〜浜佐呂間
畑の中に残っていたコンクリート橋 その1 畑の中に残っていたコンクリート橋 その2
畑の中に残っていたコンクリート橋 畑の中に残っていたコンクリート橋
北見富岡駅跡 北見富岡駅から浜佐呂間方向を見る
北見富岡駅跡 北見富岡駅から浜佐呂間方向を見る

常呂からはサイクリングロードと分かれて内陸部へと入っていく。

しばらくは畑の中を突っ切っていたらしいがそれらしい跡がよく分からない。畑で作業していた人に聞くと、コンクリート橋の位置を教えてくれた。思っていたのと1本道が違っていたのが見つけられない原因だった。

コンクリート橋は畑の真ん中に残っていた。近くの道から川縁の足場の悪さに苦労しながらその場所まで行ってみる。コンクリート橋は周りの土地より一段高いところにかかっていたが、前後の築堤は崩されてしまって畑に姿を変えていた。この橋がなければどこを通っていたのか見分けがつかなかったと思う。

線路は途中から西に向きを変えて北見富岡へと進む。北見富岡駅跡には土に埋まった建物があったが、これが駅舎だったというわけではないようだ。

北見富岡からは林の中を浜佐呂間に向けてカーブを描きながら下っていたらしい。車で走ってもかなりの急勾配なので、線路の勾配もかなりあったのではないかと思う。

浜佐呂間〜知来
小さな川を渡っていた橋脚(浜佐呂間の少し知来方) 小さな川を渡っていた橋脚 左写真と同一
知来駅跡 知来駅 線路側から見ると駅舎であることがよく分かる

浜佐呂間の少し知来方、低地に下りきったところに橋台跡が残っていた。すぐ近くに浜佐呂間駅があったはずだが、路盤すらよく分からなかったのが残念だった。

そのあと線路は道道103号に沿って佐呂間に向かう。山に沿って線路が延びていたはずで、所々それらしい跡も見られたが、それが線路跡だと確信するには至らなかった。

知来駅跡は道道のすぐ脇にあった今はゲートボール会館として使われているようだ。正面から見ると普通の小屋に見えるが、裏から見ると駅舎独特の作りをしていて駅舎をそのまま利用していることがはっきり分かる。

知来〜佐呂間
佐呂間駅跡に展示されている車両群 佐呂間駅跡にあるD51 ホームはあとから造ったようだ。
佐呂間駅跡にあるD51 屋根も作られている 佐呂間駅駅舎? この建物の中にいろいろな展示があった。

知来を出た線路はやがて道路の北側に移り、山の中を突っ切るような形で佐呂間へと向かっていたらしいが、道路からでは線路跡はよく分からなかった。

佐呂間駅跡は佐呂間地区の中心部あたりにあり、道路からは少し入っていかなければいけないがわりと分かりやすかった。鉄道記念公園になっていてかなりの広さがある。当時の駅もかなり規模があったものと思われる。

鉄道記念館の建物の中にはいろいろな展示があったが鍵がかけられていて中には入れなかった。鍵は近くの商店?で貸してもらえるらしかったが、先を急いでいたので止めておいた。この建物が駅舎だったかは、はっきりとしない。後にこのページの読者からの情報で、この建物は元の駅舎の意匠を元に現代的にアレンジして再生されたものだと分かった。

蒸気機関車(D51)や郵便車、ディーゼル機関車などが展示してあり、これらには屋根もあって手入れも行き届いているようだった。ホームはコンクリート造りで、おそらくあとから造ったものだろうと思われる。そのほかにも腕木式信号機や転轍機の跡などいろいろなものが残されていた。湧網線の中では(中湧別と並び)最大の規模だった。


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