油須原線廃線跡調査 2

調査結果

福田〜大任

福田の先も新しい道路が建設中だった。 道路は彦山川橋梁の直ぐ手前まで伸びていた。この先橋梁はどうなるのだろう。
彦山川橋梁を北側から写す。左手前が大任方向。 左写真と同じ場所。建設中の道路は川を渡らないで対岸を通ってくる様子だった。
川を渡った先から彦山川橋梁を眺める。橋は緩やかにカーブを描いている。 線路跡をくぐる道路には2つのコンクリート橋が並んでいる。
彦山川を渡った地点から大任方向を望む。右の道路が添田線跡。 大任駅跡は公園になっていた。
大任駅跡の公園。中間駅として標準的な規模か。 大任駅跡の交通公園の説明板。油須原線については一言もふれられていなかった。

線路跡は福田から先も道路として続く、かと思ったらその先はまだ建設中だった。「この先通行止め」のゲートが車が通れる幅だけ空いていたのでそのまま建設現場まで突き進む。

この先に彦山川を渡る有名な大行事橋梁(彦山川橋梁)がかかっていたはずである。道路はちょうどその橋梁の手前まで造られたところだった。

橋梁へのアプローチ部分の築堤は無くなってしまっていたが、彦山川にかかる緩やかにカーブを描いた美しい姿はまだ健在だった。

なお、道路はこの先、橋のたもとでカーブして川岸を走るような感じだったので、この橋は撤去されることははないように思う。(もちろん保証できませんので見たい方はお早めに)

彦山川を渡ったところで添田線により沿い、そのまましばらく併走して大任駅へと入っていく。路盤をくぐる道路には添田線と油須原線の2つのコンクリート橋が並んでいた。添田線跡も道路となっていて、大行事橋梁から降りてきた油須原線の路盤に立つと併走して大任駅へと至る様子がよく分かった。

大任駅跡は交通公園となっていた。2つの路線の交わる重要な駅になる予定だったところが、実現しないまま駅自体が廃止となってしまったのは淋しい物があっただろう。交通公園の説明板は油須原線についてはふれられていなかった。


目次ページへ