山野線廃線調査 3

調査結果

深渡瀬〜久木野

深渡瀬駅の先。この部分だけ自転車歩行者専用道が途切れ、2車線道路になっていた。 宝川内川の橋梁。この先から急な上りが始まる。
宝川内川の橋梁上。路面に山野線跡を示すペイントがあった。 久木野に向かう県道から宝川内川の橋梁を見下ろす。
宝川内川を渡って700mほど登った地点。下り勾配の勾配標識があり、久木野川の橋梁まで200mほどの区間だけ下りとなっていた。 久木野川を渡って川の南に移る。
久木野川を渡った先から水俣方向を振り返る。橋は緩やかにカーブしている。 久木野川を渡った先。この先は民家もほとんど無いようだった。
上写真の久木野川の橋梁を久木野に向かう県道から見下ろす。右手が栗野方向。 久木野川に沿って緩やかに蛇行して久木野に向かう線路跡を久木野に向かう県道から見下ろす。仁王木地区付近。奥が栗野方向。
久木野の集落を見下ろす。線路跡は分かりづらいが左側中央部から伸びる道路が線路跡。 線路跡は久木野手前で久木野川を渡って川の北側に戻ってくる。
久木野川を渡って川の北側に移った地点で「日本一長〜い運動場」は終点となっていた。 久木野駅跡。線路部分は道路になったようだが、腕木信号が残されている。
久木野駅跡に残されている車掌車。奥に腕木信号も見える。 ふるさとセンター「愛林館」の看板。久木野駅跡を利用したことは書かれていなかった。奥の石垣はホーム跡のように見える。

深渡瀬駅の先500m弱の区間は道路になっていたが、その先で久木野川の支流の宝川内川を渡る橋梁はそのまま残っていた。橋梁上の路盤跡には山野線の橋梁を再利用した物であることを示すペイントがされていた。

橋を渡った先は再び歩行者自転車専用道として続いている。深渡瀬駅からすこしの間はほぼ水平だったがここから再び急勾配の上りとなる。

途中一瞬緩やかな下り勾配を挟んでまた上りになるという線形になっているが、これは蒸気機関車が登り切れなくて止まってしまった場合に再び勢いをつけて上り始められるような配慮だと思われる。

深渡瀬駅から1.5Kmほど進んだところで久木野川を渡って川の南側に移る。深渡瀬駅からここまでは線路近くに民家が立ち並んでいたが、川を渡った先からは民家は急激に少なくなっているようだった。

深渡瀬駅の手前からここまで歩いたのだが、上り勾配が続いていてかなり疲れる。車がなければ久木野まで歩きたいところだが、車をおいてきているので再び引き返さなければならないのが辛い。

車に戻って久木野駅跡へと向かう。この区間は久木野川を中心にした緩やかな谷のようになっているのだが、久木野に向かう道路は山の中腹を通っているので線路跡を見下ろすことができる。道路から見下ろすと緩やかに蛇行しながら急勾配で上っていく線路跡がよく分かる。

久木野川の南側を4Km近く進んで再び久木野川を渡る。日本一長い運動場はこの久木野川を渡って再び川の北側に移る地点までで終わりとなっている。

川の北側に移った先は2車線道路に変わっていた。この辺りから久木野の集落となっていて再び民家が見えてくる。久木野の集落はかなり大きく、駅も山野線の拠点駅の1つとなっていたようだ。しかし場所的には山に囲まれていて、ここに来るまでに通ってきた場所を考えると、これだけの集落があることが不思議に思えるような場所だった。駅跡は久木野ふるさとセンター「愛林館」になっていて、腕木信号と車掌車が保存されていた。車掌車の脇にはホームの一部だったと思われる石垣も残っている。


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