鹿児島本線水俣から肥薩線栗野までを結んでいた路線。1ローカル線ではあったが、途中にループ線があることで有名で、数多くのファンが訪れた路線のようだ。
栗野から山野までは山野軽便鉄道として大正時代に開通している。その後、昭和9年に水俣から久木野までが国鉄山野西線として開通、ほぼ同時期に山野軽便鉄道が国有化されて山野東線となり、薩摩布計まで延長されたようだ。山野東線は国有化の際に大幅な路線変更が行われているらしい。
県境越えの久木野〜薩摩布計間が開通し、両線が繋がったのが昭和12年。この区間に有名なループ線があった。このループは半径160〜200mという急カーブに33パーミルの急勾配という普通鉄道の限界に挑んだようなコンパクトループであった。
ループ線の脇には民家が広がっているが、車で訪れるにはすれ違い困難な道路を通らねばならず現在でも辺境の地といえるだろう。鹿児島県側の薩摩布計も山野からの道路は未整備の箇所があり、積雪の多い地域なら代替道路未整備で残ったかもしれない路線だが、雪の少ない南国の路線だったため廃止となってしまったのだろう。
駅名 | 読み | 駅間距離(Km) | 累計距離(Km) | 開業年月日 | 廃止年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
(水俣) | みなまた | - | 0.0 | 1934-04-22 | 1988-02-01 | 鹿児島本線接続 |
東水俣 | ひがしみなまた | 2.6 | 2.6 | 1934-02-22 | ||
肥後深川 | ひごふかがわ | 3.7 | 6.3 | 1934-04-22 | ||
深渡瀬 | ふかわたぜ | 1.6 | 7.9 | 1934-04-22 | ||
久木野 | くぎの | 6.4 | 14.3 | 1934-04-22 | ||
1937-12-12 | この間 | |||||
薩摩布計 | さつまふけ | 8.3 | 22.6 | 1935-12-20 | ||
西山野 | にしやまの | 8.1 | 30.7 | 1935-12-20 | ||
山野 | やまの | 1.6 | 32.3 | 1921-09-11 | ||
郡山八幡 | こおりやまはちまん | 1.8 | 34.1 | 1965-02-11 | ||
薩摩大口 | さつまおおくち | 2.9 | 37.0 | 1921-09-11 | 宮之城線接続 | |
西菱刈 | にしひしかり | 4.8 | 41.8 | 1938-03-25 | ||
菱刈 | ひしかり | 2.5 | 44.3 | 1921-09-11 | ||
前目 | まえめ | 2.0 | 46.3 | 1963-04-05 | ||
湯之尾 | ゆのお | 2.8 | 49.1 | 1921-09-11 | ||
稲葉崎 | いなばざき | 2.6 | 51.7 | 1959-11-23 | ||
(栗野) | くりの | 4.0 | 55.7 | 1921-09-11 | 肥薩線接続 |
レンタカーでのべ16時間ほどかけて調査してきました。実際には3日間をかけているのですが、鹿児島空港発着で調査したのと宿泊場所の関係で1日目に栗野から湯之尾まで、2日目に水俣から薩摩大口まで、3日目に薩摩大口から湯之尾までというルートでの調査になりました。
久木野からループ線のある大川地区に行くにはすれ違い困難な集落内の道を通らねばならず神経を使います。線路跡に新しい道路を建設中でしたのでいずれ容易に行くことができるようになるでしょうが、そのときにループ部分が安泰かどうかは分かりません。ループのすぐ近くまでバスが通っていましたので、運転に自信がない人や片道は線路跡を歩きたいという人はバスを使うのも良いかも知れません。
ループの近くに駅はありませんでしたがそれなりに民家は存在します。ループ部分へのアクセスも民家の中の道を通っていけるので意外に容易で、集落を見下ろすループのハイライト部分へ登るだけなら通常の服装で何ら問題ありません。
ループ部分から鹿児島県側の薩摩布計駅跡へ抜けるには山道を通ることになります。一応県道ですが半分くらいの区間はすれ違い不可能で、見通しも悪く神経を使います。私は運良くすれ違い不可能区間では1台しか出会いませんでしたが、対向車はそれなりにありました。
薩摩布計から西山野までの区間もすれ違い不可能な区間があり、車で通るには神経を使います。こちらはすれ違い不可能区間の見通しは良いのでまだましですが、山野線が辺境の地を通っていたことを思い知らされます。
大口から布計までもバスがあるにはあります。まだ代替バスという名称で呼ばれているようですが、この記事を書いている時点で水曜と土曜に各1往復のみという状況になっています(大口市のサイトに時刻表があります)。この区間の線路跡はトンネルが多く、道路とは川を挟んだ対岸を通っていた部分が多いので歩くには適さないでしょう。
西山野駅は場所を間違えて今回調査漏れ。山野駅から先は道路やサイクリングロードになっていました。
水俣から大口の間にはコンビニは無かったと思います。あらかじめ食料は準備しておいた方が良いです。私は久木野から水俣まで戻る羽目になりました。
なお、この調査はデジカメ修理中のため久々のポジフィルムでの撮影です。取り込み時に色調が崩れている物があります。