矢部線廃線跡調査

  1. 羽犬塚〜花宗〜鵜池〜蒲原
  2. 蒲原〜筑後福島〜今古賀〜上妻〜山内
  3. 山内〜北川内〜黒木

路線概要

矢部線路線図

停車場一覧
駅名 読み 駅間距離(Km) 累計距離(Km) 開業年月日 廃止年月日 備考
(羽犬塚) はいぬづか - 0.0 1945-12-26 1985-04-01 鹿児島本線接続
花宗 はなむね 1.5 1.5 1958-02-01
鵜池 うのいけ 2.4 3.9 1945-12-26
蒲原 かまはら 1.2 5.1 1958-02-01
筑後福島 ちくごふくしま 1.7 6.8 1945-12-26
今古賀 いまこが 1.2 8.0 1958-02-01
上妻 こうづま 1.3 9.3 1945-12-26
山内 やまうち 2.4 11.7 1945-12-26
北川内 きたかわち 3.5 15.2 1945-12-26
黒木 くろぎ 4.5 19.7 1945-12-26

矢部線は鹿児島本線の羽犬塚駅(福岡県筑後市)から黒木町までの間を結んでいた路線である。開業は昭和20年(終戦直後)だが、それ以前にはほぼ同じルートで軽便鉄道が走っていたらしい。この軽便鉄道が明治36年に開業した南筑鉄道で、羽犬塚〜山内で営業開始、その後山内〜黒木を開業していた黒木軌道を合併し、羽犬塚〜黒木の路線となった。矢部線の建設に伴い、昭和15年に廃止となっている。

当初は線名の通り更に山奥の矢部村まで延長する計画だったが、実現することなく第1次特定地方交通線に指定され、昭和60年に廃止となった。前半区間は比較的人口が多い区間だが、車やバスで羽犬塚まで出た方が早いという状態だったのだろう。後半区間は山の中であまり利用客がなく、また終点黒木まででも延長20Km弱の路線で、車があればすぐに羽犬塚に出られる場所であり、私から見てもあまり利用価値はなかったと思われる。

旅客輸送を考えるとこんな状態だから、貨物輸送を重点に作られたのではないかと思えるが、開通が戦後ではあまり活躍できなかったのではないだろうか。(矢部線の主な建設目的は矢部村から戦後の復興に必要な木材を運び出すためだったらしい)

ただ、道路整備が遅れていたようで、今は廃線跡が格好の主要道路として利用されていた。 

調査概要・今後調査される方への情報

2003年3月日調査

レンタカーでの調査です。前日夕方に羽犬塚から黒木を通って矢部まで走行して概要をつかみ、午前中いっぱいくらいかけて、黒木から羽犬塚に向けて調査してきました。ただし、調査記録は下り方向に合わせて羽犬塚から黒木に向かって書くことにします。

羽犬塚付近は線路跡は生活道路になっています。若干道幅が狭い部分もありましたが車で通るのに支障はありませんし、交通量もそれほどではありません。八女市にはいると線路跡は2車線の立派な道路になっています。ここからは交通量がかなり多くなります。朝夕は渋滞も起きていました。平行する国道422号がしょぼいので、ほとんどの車は廃線跡道路を通るようです。路肩に車を止めるのは困難なので調査が大変でした。

線路はまっすぐ黒木に向かわず北川内(上陽町)を経由していたのですが、八女市と上陽町の境目あたりのみ廃線跡がそのまま残っていました。北川内付近は再び道路になっていましたが、その先のトンネルは残っています。トンネルを抜けた先はすぐに道路になっています。黒木町へのトンネルも残っていますがやはり前後は道路です。

廃線跡がそのまま残っている場所がほとんど無く、駅跡も見るべき物は筑後福島駅跡くらいです。その分あまり時間をかけないで手軽に見てこられる路線とも言えますが。

主要参考資料


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