手宮線廃線跡調査 2

調査結果

2000年8月30日

下り方向に向かって記述する方が分かりやすいかと思いますが、手宮側から調査したため手宮から南小樽に向かって記述します。

手宮桟橋跡、小樽交通記念館
交通記念館の裏山 手宮洞窟の裏山
海上に残る土台。手前の岸壁には構造物の残骸が残る。 海上に残る土台のアップ
道路から岸壁までは広い空き地になっている。 小樽交通記念館正面

手宮には昭和19年まで石炭搬出を目的にした手宮高架桟橋という巨大な高架桟橋があったらしい。この高架桟橋への線路は交通記念館の裏の山を駆け上がり、手宮洞窟の上を通って桟橋の上へ出ていたしい。しかし治山事業で植林などが行われているためにそのあとを明確に見分けることは難しいそうだ。

山を見るとそれらしい跡があったりしたが、それが線路跡かどうか断定できるほどのものではなかった。

高架桟橋があったのではないかと思われる部分は、陸上は広い空き地になっていた。また海上には土台だったと思えるような構造物の跡が2つ確認できた。また岸壁には構造物を取り壊した跡と思える部分があった。

手宮駅と数多くの引き込み線?があった部分は現在小樽交通記念館になっている。交通記念館の中には展示用に数多くのレールが引かれていたが、その中に元々あった線路を流用したものがどれだけあるのかははっきりしない。

ちなみに、交通記念館にはかつて北海道を走り回った数々の車両が展示されていて、かなり見応えのある施設だった。

手宮駅跡
手宮駅跡は交通記念館へと入っていく 左写真の反対側。線路が3本ほど並んでいる。
草に埋もれた転轍機 外されている線路もあった

交通記念館の南側は現在道路が通っているが、手宮駅はこの道路を跨ぐ位置にあったらしい。交通記念館手前で線路が3本ほどに分かれ、交通記念館手前まで続いている。道路部分までレールが敷かれたままなのがおもしろい。

レールは交通記念館手前で一旦途切れるが、交通記念館内のレールはそれに続いていたものをそのまま流用しているように思われる。


目次ページへ