大社線は、山陰本線出雲市駅から出雲大社の手前の大社駅までの7.5Kmを走っていた線です。開通はかなり早く明治45年6月です。昔は各地からの直通列車が走り、寝台列車も乗り入れていたようです。しかし、団体客がバスを利用するようになり、鉄道で参拝に訪れる人はわずかになってしまったのか直通列車は次々と廃止され、JRになってからもしばらく走り続けていましたが、平成2年ついに廃止されてしまいました。
線形は出雲市駅からほぼ直線で西へ進み、全線のほぼ中間地点で北西に進路を変え、川を渡ってまっすぐ大社駅へと延びていました。急カーブもなく平野部のため勾配もほとんどない平坦線で、線形的にはかなり良かったと思われます。
実際訪れてみて分かったのだが、終点だった大社駅から出雲大社までは普通の参拝客が歩くにはちょっと無理のあるほどの距離があり、実際バスが運行されていたようで、それならば出雲市駅からバスで行ったとしても変わらないわけで、これでは廃止もやむを得ない思った。
今回は全線を自転車によって調査してきました。廃線跡の大部分が自転車道および道路になっていたので非常に調査が楽でした。最初は片道だけ歩こうかと思っていたけど、自転車でもそれなりに大変だったし、大社駅から出雲大社までもかなり距離があったので止めておいて正解でした。
廃線跡のうち出雲市駅から少し離れて田園地帯となる辺りから路線全長の3分の2くらいのところまでは自転車専用道路となっていました。しかし、専用道路を走っていると、道の脇には駅接近標識や鉄道用地境界を示す杭、踏切制御装置など廃線跡と分かるものがそこかしこに残っていた。なお、途中に川を渡っていた部分があるが、この部分の鉄橋は取り壊され、自転車道も迂回していた。この川を渡る手前200mほどはレールがはずされただけで全く手が付けられていなかった。また、自転車専用道がとぎれてから少しの間(500m弱)もレールがはずされただけの状態で残っていたが、その先の大社駅までの区間は広い道路へと生まれ変わってしまっていた。
途中出雲高松、荒芽(あらかや)の2駅があった。これらは2駅とも駅舎は取り壊されていたもののプラットホームは完全に残っていた。取り壊される様子もなく、これからも保存されていくことが期待できる。
終点の大社駅は駅舎、プラットホームなどほとんどがそのまま保存されていて、レールもそのまま残っていた。駅舎は手入れも行き届いていて、整備が行われているようだ。線路跡に作られた道路も手前で曲がっていくようになっていて、駅構内への延長は考えていないようだし、どうやらこの部分はこれからも保存していくようでありがたいと思う。
以下の写真は出雲市駅から大社駅へと順番に並べてあります。枠が表示されている物は大きな画像へリンクしています。
鉄道廃線跡を歩くV 宮脇俊三編著 JTB