深名線廃線跡調査 6

バスによる調査結果

2000年8月27日にバスによる第1回調査をしてきました。そのときの報告文です。本文は2001年8月27日の第2回調査によって大幅に改訂したため、元の文をここに掲載しておきます。

深川〜幌加内

深川のJRバス乗り場は駅前広場が工事中の関係で少し離れた道路上にあった。バスターミナルのようなものはなく、ただ停留所の看板が立っているだけの至って普通のバス乗り場だった。始発なんだからもう少ししっかりしたところから出るのかと思っていたので少し拍子抜けした。

予定時間になると、大型の観光バスタイプのバスが空でやってきた。乗り込んだのは私と20前後と思われる女の子(旅行者かと思ったが途中で降りていった)の2人のみ。まあ予想されたことではあるが・・。深川の町中の停留所でもう2人ほど乗り込んできた。滝川からしばらくは元の線路とは少し離れたところを走ることもあって線路跡はよく分からなかった。

最初のうちはまっすぐの道路を走っていたのだがだんだん山の中に入ってきて急なカーブが多くなる。いつの間にか明らかに線路跡と分かる低い草蒸した築堤が現れた。それが時々道路と交差して左右に見えている。途中幌加内峠では道路が線路を乗り越していた部分があり、道路の下には明らかに線路跡と分かる緩やかにカーブした道床が続いていた。道路には◯◯跨線橋という標識もあり、ここに鉄道が通っていたことを物語っている。しかし全ての区間で線路は取り払われていた。

バスはかつての駅と同じ名前の停留所に止まったりするのだが、ほとんどは道の脇に停留所があって、かつての駅がどこだったのかよく分からない。おそらくすぐそばにあったのだろうが、跡形もなくなってしまっているところも多いようだ。しかし沼牛では、かつて駅があったと思われる場所まで狭い道を入り込んでいった。沼牛に寄ったあとは元の道に戻るだろうと思っていたら元の道には戻らず西の方を大きく迂回して幌加内に向かった。そして程なく幌加内のバスターミナルに到着。

幌加内〜朱鞠内

深名線の代替バスは全てが幌加内止まりになっていてここを境に系統が2分さているため、必ずここで乗り換えなければならない。今来たバスはおそらく折り返しの深川行きになるのだろうと思ったらそのまま名寄行きになってしまった。運転手もそのまま名寄へ行くそうだ。実質深川発名寄行きであり、最初から名寄行きを表示しても良さそうだが、幌加内で運転手が一旦バスから降りて小休止するためにこのようになっているようだ。幌加内のバスターミナルは新しい建物だったが、バスの発着するところの柱にある電灯が妙に古くさかったので元のホームを改造したのかと思ったが違っていた。幌加内を出たバスはすぐに元幌加内駅前のロータリーへ寄り道したため、駅のあった場所がよく分かった。しかしここで乗った人はいなかったし、バスターミナルは目と鼻の先なのでここに寄り道するのも今のうちだけかも知れないと思う。駅舎はきれいになくなっていたが、これは2000年3月19日に消失してしまった結果らしい。幌加内をでて暫くいくと山に挟まれ、脇には雨竜川が寄り添ってくる。この区間になると対岸に線路跡がはっきりと見える。落石防止のフェンスなどもそのまま残っている。途中雨竜川を渡る鉄橋がそのままの姿で残っていた。政和駅は記念塔とともに駅舎もしっかり残っていた。

朱鞠内で途中下車。ここはかつて深名線の拠点駅で、全ての列車がここを境に系統分割されていたようだ。しかし周りはかなりの田舎で商店も何もない。かつての駅舎は丁度取り壊しが終わったところらしく、広い空き地となったところに作業機械が入って整備が行われていた。おそらく何か新しい建物が建ってしまうのだろう。

ここ朱鞠内は羽幌線(廃線)羽幌と名寄を結ぶ予定で建設が始められた名羽線の分岐駅となる予定の駅でもあった。しかし名羽線は完成することなく建設が中止され、連絡する予定だった羽幌線、深名線の両線とも廃線になってしまった。名羽線はかなりの部分が完成していて、見事なコンクリート橋を山の奥深くにさらしているそうで、是非見てみたいと思うのだが、平行する道路が無く見に行く手段がない。鉄道が廃線になっても、同じルートに道路が造られるのが普通なのだが、この路線に限っては平行する道路が造られる予定はないようだ。それだけ需要がなかったということか。

朱鞠内〜湖畔

朱鞠内駅をでて国道を渡ったところからその名羽線の草蒸した道床が左に分岐していく。深名線の跡は線路はないがバラストらしき砂利が敷き詰められていて草もまだ生えてはいない。いけるところまで歩いてみようと思ったがすぐにガーター橋に突き当たる。脇の手すりになる部分はないし、かなり痛んでいるようだったので渡ることはできそうになく引き返す。あとで湖畔のバス停にあったノートを見てみたらこの鉄橋を渡った強者もいたらしい、が私は止めておくべきだと思う。もし鉄橋から落ちでもしたら自己責任では済まない事態になってしまう。

廃線跡を歩くのはあきらめ、山際の道を進むことにする。しかしこの道、なぜか急な登り勾配で登った後すぐに元の高さくらいまで下る。いったい何のためなんだろう。どうやら名羽線がここをくぐっていたようでもあるが、それにしても高すぎるような気がする。20分くらい歩いて湖畔仮乗降場があったと思われる場所に到着。駅は全く残っていなかったが、不自然な広場が駅前広場だったのだろう。この辺りの線路跡はかなり草が生えてきているが歩けないことはないかなという状態。もう少し奥(北)の方まで行ってみたい気もしたがバスの時間に遅れると本数が少ないので大変なことになるし、名羽線の廃線跡も少し調査したかったのでここで引き返す。

幌加内町営の「ふれあいの宿」前のバス停からバスに乗る。乗客は私だけ。道路は朱鞠内停留所を出るとすぐに名寄へ行く道と湖畔方面へ行く道とに分かれるのだが、バスは冬季以外は朱鞠内から湖畔の間を往復してから目的地へ向かう。名寄方面へ行く国道に入るとぐんぐん高度を上げていく。途中一瞬だけ深名線跡を含めた地域全体が見渡せたがすぐに見えなくなってしまった。車で行けばいい撮影ポイントになると思う(かなりの望遠が必要かも知れないが)。

湖畔〜名寄 未調査

ここからはバスは深名線跡から大きく離れ、朱鞠内湖の南側の道を進む。深名線は朱鞠内湖の北を通っていて、現役時代は景色のいい区間だったらしい。一応湖の北を迂回する道もあるようだが、冬季は相当な積雪があることが予想され、そのために代替バスルートも湖の南を通るよう設定されているのだろう。廃線跡は今も容易に近づくことはできない部分が多いらしい。

ここから名寄までバスから廃線跡を見ることのできる区間はなさそうだったので居眠りモードに突入。気付いたら名寄に到着するところだった。結局最後まで乗客は私だけだった。 


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