雨竜川にかかるガーター橋。(雨煙別〜政和)(2000.8.27) | 今にも列車が来そうなトラス橋。(雨煙別〜政和)(2000.8.27) |
政和駅跡。今もほぼ現役のままのようだ。(2000.8.27) | 国道脇に残る添牛内駅駅舎。(2001.8.27) |
添牛内駅はホームも残っていた。(2001.8.27) |
幌加内を出て少し北上した国道脇の田圃の中に上幌加内駅があったようだ。しかし駅跡は未調査である。
上幌加内を出ると両側に山が迫ってくる。雨竜川を渡り、少し進むと雨煙別駅があった。雨煙別駅は国道のすぐ脇にあったようだがこれまた未調査である。
上幌加内を出て暫くいくと山に挟まれ、脇には雨竜川が寄り添ってくる。この区間になると対岸に線路跡がはっきりと見える。落石防止のフェンスなどもそのまま残っている。途中雨竜川を渡る鉄橋がそのままの姿で残っていた。
政和駅は記念塔とともに駅舎もしっかり残っていた。写真は2000年8月のものだが2001年8月の時も何も変わっていなかった。
平野部を北上し新富駅へと至るが、ここも駅跡は未調査である。
両側を山に囲まれた狭い平野部を国道に沿って北上し、日本海沿いの苫前町へと至る国道239号との分岐点の先に添牛内駅があった。駅舎は国道脇に今までも残り、ホームも残っていた。
山のせり出している部分を急カーブで回り込み、国道と交差して少し北上し、雨竜川を渡った先に共栄駅があったようだ。駅跡は未調査である。
ちょっとした峠をトンネルで越えて再び雨竜川を渡り、朱鞠内の集落へと至る。
朱鞠内駅は深名線の拠点駅で、全ての列車がここを境に系統分割されていたようだ。しかし周りはかなりの田舎、というより過疎地帯で商店も何もない。かつての駅舎は200年8月に訪れたときには丁度取り壊しが終わったところらしく、広い空き地となったところに作業機械が入って整備が行われていた。2001年8月に行ったときもまだ工事は続いていたが、建物とそこに通じる通路が出来上がっていた。
ここ朱鞠内は羽幌線(廃線)の羽幌と名寄を結ぶ予定で建設が始められた名羽線の分岐駅となる予定の駅でもあった。しかし名羽線は完成することなく建設が中止され、連絡する予定だった羽幌線、深名線の両線とも廃線になってしまった。
朱鞠内駅をでて国道を渡ったところからその名羽線の草蒸した道床が左に分岐していく。深名線の跡は線路はないがバラストらしき砂利が敷き詰められていて草もまだ生えてはいない。道床を歩くとすぐに雨竜川を渡るガーター橋に突き当たる。脇の手すりになる部分はないし、かなり痛んでいるようだったので渡ることはできそうになく引き返した。あとで湖畔のバス停にあったノートを見てみたらこの鉄橋を渡った強者もいたらしい、が私は止めておくべきだと思う。もし鉄橋から落ちでもしたら自己責任では済まない事態になってしまう。
廃線跡を歩くのはあきらめ、山際の道を進むことにする。しかしこの道、なぜか急な登り勾配で登った後すぐに元の高さくらいまで下る。いったい何のためなんだろう。どうやら名羽線がここをくぐっていたようでもあるが、それにしても高すぎるような気がする。線路は先ほどの橋梁の先で蛇行している雨竜川を再び渡り、更に朱鞠内川を渡って湖畔駅となる。朱鞠内川の橋梁は道道の橋梁からも見ることが出来た。
朱鞠内から20分くらい歩いて湖畔駅があったと思われる場所に到着。駅は全く残っていなかった。元仮乗降場だった駅なのでまともな駅舎はなかったのではないかと思う。朱鞠内湖への道路の南側に不自然な広場がありこれが駅前広場ではないかと思ったのだが、駅は道路の北側にあったのでこの広場が駅前広場だった訳ではないようだ。2000年8月時点ではこの辺りの線路跡はかなり草が生えてきているが歩けないことはないかなという状態だった。