標津線廃線跡調査 6

調査結果

計根別〜中標津

当幌駅のあった場所。駅舎はなくなっていた。 当幌駅から標茶方向を見る。
当幌駅から根室標津方向を見る。

計根別から先は道道(途中から国道)とほぼ並行して中標津まで進む。

計根別の次は開栄という駅があったようだが調査時にそのことを知らなかったので調査していない。

当幌駅跡は同名のバス停のある場所だった。未舗装の狭い駅前広場がそのまま残っていたが駅舎はなくなり、ホームも見あたらなかった。この辺りも路盤ははっきり残っていた。

この先中標津の街の手前で国道と交差し、厚床からの路線と合流して中標津駅へと入っていた。中標津駅は厚床からの項で紹介したのでここでは飛ばすことにする。

中標津〜川北

上武佐駅手前のクテクンベツ川にはガーター橋が残っていた。 上武佐駅跡。工場?の敷地になっているようだった。
上武佐駅跡を示す木柱が立っていた。 川北駅跡のバス待合所。
川北駅跡にはキハ22が展示されていた。 駅名標を真似た標識がいい感じである。

中標津を出るとすぐに北に進路をとり、小高い丘を越える。

丘を越えた少し先にあった上武佐駅跡には駅跡を示す木柱が建っていた。この駅は映画に登場したことがあるようだ。

上武佐から道路に平行して北北東へと進む。

川北駅跡はバス待合所とふれあいセンターになっていたが、その駐車場にはキハ22が展示され、木製の駅名標を真似た標識が立っていた。木製のホームも造られ、丁寧に保存されているようである。

川北〜根室標津

根室標津手前の標津川の橋梁があった部分。さっぱり分からなくなっている。奥が標茶方向。 標津川を渡った先の築堤が残っていた。この先が根室標津駅。
標津川を渡った後の路盤後。道路として使われていた。この先が根室標津駅。 根室標津駅跡地の一部には花が植えられていた。
根室標津駅前の様子。駅があった頃と変わっていないようだ。

川北からは進路を東向きに変え、根室標津へと真っ直ぐ向かう。道路が平行していない部分が多いので線路沿いに走ることは出来なかった。

根室標津手前で大きく南にカーブし、標津川を渡って標津の街に北側から入っていた。

標津川の橋梁は跡形もなく撤去されてしまっていたが、橋梁を渡った後根室標津駅に至る路盤が街の中にもかかわらずはっきり残っていた。

根室標津駅跡は駅前道路が駅裏まで貫通している以外は特に建物が建っているということもなくそのまま残っていた。荒れ地にしておくのはみっともないからか、花が植えられるなどされていた。


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