標津線廃線跡調査 4

調査結果

標茶

木の駅銘板が掲げられていた標茶駅駅舎。 標茶駅1番ホームより2、3番ホームを見る。
標津線の歴史
標津線の出ていた標茶駅3番ホーム。 標津線の出ていたことを伝える看板。
標茶駅3番ホームに標津線起点を示す標柱が残っていた。 ホーム脇の保線基地は空き地になっていた。

標津線の起点である標茶駅は訪問が朝早かったため霧に包まれていた。この辺りは朝は霧が出ることが多いようである。

標茶駅は今でも釧網本線の拠点駅である。標津線はここから釧網本線網走方向へと出ていた。

標津線が出ていたという3番ホームもまだ使われているようだ。その3番ホームには標津線の起点だったことを示す看板や標柱が建っていた。ホームの脇に広がっていたと思われる保線基地などはすでにレールが撤去され、空き地となっていた。

標茶〜泉川

釧網本線と分かれる部分。白いポール(精算事業団のもの?)の間を線路が通っていたと思われる。左奥が標茶駅方向。 釧網本線と分かれた先には築堤が残っていた。
釧網本線と分かれた先に残る築堤を別角度から見る。左手が根室標津方向で、写真左隅あたりに多和駅があったようだ。 山を越えて泉川駅構内へと入ってきた路盤。写真奥が標茶方向。
泉川駅構内跡。ホームなどは残っていなかった。 泉川駅駅跡を貫通していた元駅前道路。

標茶をでで少し釧網本線と並んで北上したあと、右にカーブして山の中に分け入っていく。釧網本線と分かれたすぐ先には両側を木に囲まれた築堤がはっきり残っていた。

山に分け入る手前の部分に多和駅があったらしい。しかしこの駅は「鉄道廃線跡を歩く」の地図に載っていなかったため調査し逃してしまった。

多和から先は山越えとなる。線路は谷に沿って急カーブを繰り返しながら泉川へと抜けていたようだが、林道が一部平行しているのみで普通の車では調査困難だったので道道を泉川へと迂回する。

山を越えてすぐの場所にあった泉川駅は行き違い可能駅だったようで、駅だった部分は路盤が広くなっていた。ホームや駅舎は既に無くなっていて、駅前道路は線路跡を横切って駅裏方向へ貫通していた。

泉川〜光進

光進駅ホームと泉川からの路盤
光進駅ホームは草に埋もれながらもそのまま残っていた。写真奥が標茶方向。 光進駅から根室標津方向を見る。路盤はずっと木の間を通っていたようだ。

泉川から光進へと至る路盤は道路から少し離れた場所を通っていて調査できなかった。

光進駅に至る道路は舗装されていない砂利道だった。駅前には何もなく、おそらく駅利用者は道路を舗装する価値もないほどだったのだろう。駅は片面ホームが草に埋もれて残っていて、停止目標標識も立っていた。


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