標津線は標茶から根室標津の路線と厚床から中標津の路線があり、1つの長大路線というわけではなかった。それなのに全体の営業キロだけみて長大路線と考えていたため廃止がJR化後までずれ込んでしまったのではないかと思われる。
根室本線に接続していた厚床駅は今でも根室本線の駅として現役ではあるが、その根室本線も釧路までの区間と違って優等列車の走らないローカル路線である。当然無人駅だろうと思っていたが、実際訪れてみると駅員(委託かも知れない)が常駐しているようだった。
かつて機関区があったらしく、その名残で構内は広かったが、現在は辛うじて行き違いが出来る設備が残っているだけで構内の多くは草むしていた。標津線は2番線から出ていたらしいが、その2番線はレールがはがされていた。
厚床を出て根室本線と別れ、北に向きを変えた線路は少し北に行った所で国道と交差して国道の西側を走っていた。交差部分は国道にS字カーブが残っていた。線路跡は両側を木に囲まれて続いていたと思うが車を止めるのは危険そうな場所だったので通り過ぎてしまったため写真はありません。この先の線路跡は道路と少し離れた所を通っていたようで車からはよく分からない。
風蓮川を渡った先に線路跡と交差する脇道があったので行ってみた。路盤は両側を木に囲まれて一直線に伸びていた。標津線の多くはこのように木の間を走っていたようで、眺めは良くなかったようだ。少し手前の部分で風蓮川を渡っている場所で、「鉄道廃線跡を歩く」には橋梁の写真が載っているため行ってみたかったが、車で入るのはやばそうだったし、歩きでもそこそこ距離がありそうだったので止めておいた。後でよく調べると600mくらいのようだったので行けば良かったと後悔している。
奥行臼駅跡は、国道からは少し離れた場所にあったが案内板が出ていたので分かりやすかった。非常に良好な状態で保存されていた。駅舎やホームのみならず線路や信号機まで残っていたのは驚きである。廃止後に構内貨物線などの復元工事が行われたようである。ここまでしっかり保存してくれるのは非常に嬉しい限りである。ここに行ったときJR北海道の名札を付けた人が2人来ていた。話しかけるタイミングをつかめなかったのだが、廃止された路線に何をしに来たのだろう。