志布志線廃線跡調査 4

調査結果

岩川〜大隅松山

岩川から少し進んだ踏み切り跡にはアスファルトからレールが顔を覗かせている。 左写真のすぐ先。この辺りだけは道路化されないで民家脇に築堤が残っている。
線路跡は再び道路となって続く。 トンネル手前。砂利道となった道路を進んできたところ。
松山町へと抜けるトンネル。何かに再利用されているようだ。 大隅松山駅跡。ホーム1面と線路1線がおそらく当時のままの姿で残っている。
大隅松山駅ホーム。駅名標も残っている。 大隅松山駅ホーム前にモニュメントが建っている。

岩川からは国道と離れて西に進路をとり、松山町へと向かう。同じく松山町に続く県道110号があるが、この県道とも離れた場所を通っていた。

線路跡は大隈町内の多くは道路として再利用されているが、一部道路脇に線路跡が残っている部分もあった。また、「廃線跡を歩く」にも書かれている、踏み切り跡のアスファルトからレールが顔を出している箇所はまだ健在だった。

住宅地を抜けても線路跡はそのまま道路としてしばらく続くが、やや広い道路と交差するところで砂利道に変わる。

レンタカーであることを良いことにそのまま砂利道を進むとトンネルの入口に出た。トンネル内は何かに再利用されているようで入口に扉が設けられていた。車でトンネルを突っ切るわけにも行かないのでここで引き返し、松山町側にまわる。

松山町側は線路跡がよく分からなかった。強引に砂利道を進もうとして車に傷を付けそうになったので無理をするのは止めて駅跡へと向かう。

大隅松山駅前後は道路になっているが、駅のあった部分は土地に余裕があったからか中央分離帯が設けられている。ホーム1面と線路1線が残り、記念碑が建っていた。読みづらくはなっていたがホームには駅名標も残っていた。

大隅松山〜伊崎田

大隅松山の先。県道をオーバークロスしていたらしい様子がうかがえる。(奥が大隅松山駅) 大隅松山の先は快適な農道に生まれ変わっている。
農道が途切れたところ。すぐ先で菱田川を渡っていた。 菱田川を渡っていた部分。橋梁は撤去されていた。その先にトンネルがあるはずだが確認できなかった。
伊崎田手前のトンネル出口。 伊崎田駅手前数100mは道路になっている。道路脇に腕木信号が立つ。
伊崎田駅駅舎は鉄道記念館として残っていた。 伊崎田駅内部。当時の様子が再現されている。
伊崎田駅に残っていた時刻表。 伊崎田駅内部には当時の写真も飾られている。
伊崎田駅ホームと安楽方向に伸びる線路跡。

大隅松山を出たところでは線路跡の道路が急に落ち込んで県道と交差していて、線路が県道をオーバークロスしていたらしい様子が伺えた。

松山町を通るのは僅かな区間だけですぐに大隅町に戻る。

ここから先は山の中に分け入っていた区間で、平行道路もない調査困難な区間と思っていた。実際地図にも平行道路などは記載されていなかったが、実際には線路跡は農道に生まれ変わっていてそのまま辿ることが出来た。(あとで「廃線跡を歩く」を読み直してみると道路に変わっているとしっかり書いてあった)

道路は菱田川を渡っていた橋梁の手前で脇にそれて、県道63号に合流していた。菱田川の橋梁は撤去されていた。また、その先でトンネルに入っていたようだが、トンネル入口は見えそうで見えなかった。何とかトンネル入口を見たい気がしたが雨が降っていたのであきらめて伊崎田駅跡へと向かう。

県道63号と109号合流点から入る県道が伊崎田駅へと通じるメインルートだと思うのだが、この道は細い山道だった。伊崎田の中心集落は県道沿いの山口という集落のようであるが、駅は山口とはかなり離れた山の中の上縄瀬という集落にあった。

山の中の曲がりくねった道を進むと伊崎田駅の正面に出た。こぢんまりしたコンクリートの駅舎はそのまま記念館として残っていた。駅舎内には時刻表や当時の写真などが展示されている。駅構内はほとんど手が着けられないで当時のまま残っているようだ。線路は埋められて砂利道となっていたが、ホームも残っている。あたりは僅かな民家が存在するだけの山の中である。

駅手前数100mは道路になっているが、その道路脇に腕木信号が残っていた。また、その手前にはトンネル出口も見られる。

砂利道となった線路跡が安楽方面に続いていたので、その道をしばらく進んでみたかったが大雨が降っていたし既に日没を迎えていたので断念した。


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