札沼線廃線跡調査 4

調査結果

2001年8月24日(金)

上徳富〜雨竜
水田の中に残る暗渠。向こう側が南雨竜。(南雨竜〜雨竜) 暗渠跡その2。左写真とは別のもの。(南雨竜〜雨竜)
暗渠跡。右上写真と同じ物。この右奥が雨竜の集落。(南雨竜〜雨竜) 雨竜駅跡に残されていた腕木式信号機。

上徳富の先には尾白利加川があり、この川の流れの中に崩れた橋脚が残っていると「廃線跡を歩く」に書かれていたので、懸命にこれを探したがとうとう見つけられなかった。

この手前では線路が右カーブしていたはずでありそれによって線路のあった位置がはっきり推定できない。実際に行ってみても線路跡と断定できるような痕跡はなく、どこで川を渡っていたのかがはっきり分からない。この日は川の水が多かったので流れの中に沈んでしまっていたのではないかと考えられ、残念だがあきらめて先に進む。

南雨竜駅跡も痕跡は見つけられなかった。

南雨竜から雨竜の間では線路跡に出来るだけ近づくように道路をジグザグに走ると、水田の中の水路に橋梁の跡が残されているのを発見することが出来た。

雨竜駅跡は集落の北の端にあった。集落を斜めに横切る道路が線路跡と思われる。駅跡には腕木式信号機が立っていて、かつて鉄道が通っていたことを伝えていた。

雨竜〜石狩追分
石狩追分駅手前に残るコンクリート橋。 石狩追分駅跡に立つ標柱。
石狩追分駅跡と片隅に立つ標柱。 石狩追分駅跡はかなり広い。

雨竜駅から先も線路は田園地帯を走る。石狩追分駅手前ではコンクリート橋が残っていた。

石狩追分駅跡はかなり広かった。倉庫が建ち並ぶ中に石狩追分駅跡を示す標柱がぽつんと立っていた。線路跡が道路になっているようだったが、その脇にも空き地が広がっていて、大きな駅だったのではないかと予想できた。

石狩追分〜碧水
面白内川川岸の茂みの中に残っていたコンクリート橋梁。(石狩追分〜渭ノ津) 面白内川の橋梁を少し遠くから見る。川の先には橋台も見える。手前が渭ノ津方。(石狩追分〜渭ノ津)
渭ノ津駅はこの写真のどこかにあったのではないかと推定したのだが・・。写真の砂利道が線路跡なのだろうか?(渭ノ津〜和) 中ノ岱駅付近に僅かに残る築堤。駅はこの辺りにあったはずだが全く分からない。
中ノ岱駅付近の築堤上から和駅方向を見る。 中ノ岱から碧水はこの砂利道が線路跡だったらしい。右に国道が平行する。写真奥が碧水。

石狩追分を出ると線路はこの先にある岡を迂回するため道路と離れて田圃の中を突っ切っていた。

面白内川には木の茂る中にコンクリート橋梁の一部が残っていた。

渭ノ津(いのつ)駅は集落とは離れた田圃の真ん中にあったのではないかと推定したのだがさっぱり分からない。前後の線路跡もこれが線路跡だと断定できるようなものではなく、よく分からなかった。

和(やわら)駅も集落から離れた位置にあったようだ。駅跡には縫製工場が建っていて、そのトイレは駅のトイレだった物だと「廃線跡を歩く」にあったのだが、そのトイレを見つけることは出来なかった。日が暮れてしまいそうだったので詳しく探すのはやめて先を急ぐ。

中ノ岱駅のあったはずの場所から道を挟んだ反対側には道の駅がある。かつての駅を意識して道の駅を作ったのだろうか?和駅方向は築堤になっていたようだが、その築堤は道路から50mほど残っているだけであとは切り崩されてしまっている。駅は道路に隣接するこのあたりにあった可能性が高いと思うのだがそれらしい物は残っていなかった。築堤上が単線にしては広かったのでそれが駅のあった証拠といえるかも知れない。

中ノ岱駅から道路をわたった線路は国道に平行して碧水駅に向かっていた。国道に平行して砂利道があり、これが線路跡のようだ。


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