大隅線廃線跡調査 5

調査結果

鹿屋〜大隅野里

鹿屋市役所前の橋に腕木信号が建つ。橋の名前は「鉄道橋」で、ここが線路であったことを示している。 鉄道橋の欄干に命名の由来が書かれている。
鉄道橋を渡ったあとしばらくは道路になっている。 大隅野里駅跡。道路脇が広くなっている。奥が鹿屋方向。
大隅野里駅跡には駅名標と小屋が建っている。 大隅野里駅の先、サイクリングロードとなった線路跡は一直線に山に向かう。

鹿屋を出た線路はすぐに左に急カーブして180度方向を変えていた。鹿屋の市街地に少しでも近づくために苦労した結果このようになったのであろうことが想像できる。

急カーブの跡は、道路として残っていた。90度ほど向きを変えた地点で下谷川を渡っていたが、その跡には「鉄道橋」という名の道路橋が架けられ、腕木信号が建っていた。

線路跡はそのまま道路としてしばらく続く。緩やかにカーブしている所などが線路跡らしい。

田崎地区に入り、線路が西に方向を変えていた地点で道路は終わり、ここからは再びサイクリングロードになっていた。サイクリングロードとなった線路跡は自衛隊鹿屋航空基地のすぐ南の小高い場所をまっすぐ進んでいるのだが、森になっていて道路から見ることは出来なかった。

自衛隊基地が途切れる頃道路がサイクリングロードにより沿い、しばらく行くと大隅野里駅跡に出た。駅跡には小屋(駅舎ではなさそう)と駅名標が建っていた。

大隅野里〜大隅高須

県道545号の跨線橋から山を越えてきた線路跡を見下ろす。奥が鹿屋方向。 高須市街地で県道を跨いで海沿いに出る。右手が国分方向。
海岸沿いに出た線路跡。海岸を見下ろすことが出来る。奥が国分方向。 勾配を降りきるとすぐにトンネルに入る。トンネルの先が大隅高須駅。トンネルは電気がついていて通り抜け可能である。
大隅高須駅跡は公民館になっていた。駅跡を示す碑が建っている。 大隅高須駅全景。右手の赤い自動車の奥の建物が駅舎跡に建った公民館。奥が国分方向。

大隅野里を出ると、線路跡のサイクリングロードは山際に向かって一直線に伸びている。鹿屋市街地と鹿児島湾の間は山地で隔てられているが、線路の通っていたあたりは山が低くなっている場所である。路線図を見ると鹿屋から国道220号沿いに古江に向かった方が良いようにも思うが、トンネルを避けるために高須経由のルートになったのだろう。

山際の高い場所を線路は通っていたが、平行する道路がないため車での調査は困難だった。県道545号の跨線橋からは山の中を通ってきた線路跡を見下ろすことが出来た。(国道269号は手元の地図では線路をオーバークロスするように書かれているが、実際はアンダークロスしていたと思う)

県道545号をくぐった高須中の裏あたりから急勾配で海岸沿いに下る。右カーブしながら高須の市街地を通る県道68号を跨ぎ、そのまま海岸沿いに出る。すぐ脇が海岸だが、まだ下りきっていないため高い位置から海を眺めることが出来、絶景ポイントの1つであっただろう。

大隅高須駅は県道が「く」の字型に曲がっている地点にあったのだろうと見当を付けていたのだが、その場所に行ってみてもどうも駅跡らしくない。すぐ先にはトンネルがあり、場所は限定されるのだが駅だったにしては土地が狭すぎるのである。おかしいなと思って地元の人に尋ねてみると、駅跡はトンネルを出たところだそうである。町の中心はこの辺りのようだが、勾配を降りきってすぐのこの場所に作るのは無理があったのだろう。

トンネルの先に行ってみると、駅跡は公民館になっていたが、駅跡を示す碑が建っていた。公民館の脇のホームがあったであろう場所は空き地になっていて子供たちが遊んでいた。


目次ページへ