大隅線廃線跡調査 2

調査結果

三文字〜東串良

持留川の橋梁は架け替えられていたが、欄干に汽車の絵が描かれていた。 持留川を渡った先。しばらく切り通しになっている。
持留川を渡って少し進んだ永吉地区は切り通しになっていた。 県道520号を越えたところ(奥が志布志方向)。道路が急に高くなっていることから県道をアンダークロスしていたようだ。
線路跡の道路を辿っていたら公民館?に突き当たった。この手前あたりから地下に潜っていたようだ。 左写真の先。ここはトンネル上部に当たり、線路はこの下を通っていたようだ。
県道のさきは断崖になっていた。東串良駅跡が一望できる。(下を通っている道路が本線跡) 崖の下にまわってみると暗渠が残っていた。ここがトンネル出口になっていたようだ。
国道から駅前に入る道路の脇に車掌車が置かれていた。 本線の通っていたであろう部分は立派な2車線道路になっている。(奥が志布志方向)

三文字駅を出てすぐに持留川を渡るが、この橋梁は道路橋に架け替えられていた。しかしその道路橋の欄干には汽車の絵が掛かれていて、この橋が線路跡に架けられた物であることを示していた。

線路跡は道路として更に続く。県道520号を横断する部分では道路化の際に県道につなぐためにかさ上げされたような形跡があった。鉄道時代は県道をアンダークロスしていたのかも知れない。

県道を横断した先は国道と少し離れた田圃の中をまっすぐな農道としてのこっていた。

東串良町に入ってしばらく進むと集落に入ったところで突然公民館のような建物に突き当たる。その先にまわってみると更に線路が続いていたような形跡があったのだが、そのすぐ先、県道541号を越えた先で突然断崖になっていた。その崖の下が東串良駅だったようだがどう考えても駅に下るには急勾配過ぎる。どうなっていたのだろうかと疑問に重いながら崖の下にまわると、崖のすぐ手前に小川を渡る暗渠が残っていた。このことから線路は公民館につき当たる手前あたりから地下に潜り、県道の下を抜けていたことが分かった。

県道をくぐった所に東串良駅跡があった。駅跡は広場になって残っていて、本線が通っていただろう部分は2車線道路が通っている。一時期終着駅だったことがあるためか、かなり広い駅だったようで、広場はかなりの面積があった。国道から駅に入っていた道路の脇に車掌車が置かれていた。また、広場にも鉄道跡を示すように短い線路が敷かれていたりした。

東串良〜串良

東串良駅から串良方面を見る。道路はこの先すぐに未舗装の自転車道に変わる。 串良川を渡っていた部分。正面に見えている道路が東串良から伸びてきていた線路跡。
串良川の串良駅側の橋台が残っていた。 左写真のすぐ先。串良駅へと左カーブで下る。左の草むしている築堤が線路跡。
串良駅へと入っていく部分。駅跡は公園になっている。 串良駅跡の公園の一角には気動車が展示されていたが、ぼろぼろになっていた。
気動車の展示場の正面は駅舎の入口風。 気動車の展示場にあった大隅線のあゆみを記した石碑。

東串良と串良の間は僅か600mの距離だが、串良川があったためかこの区間だけ開通が遅れている。

東串良駅跡を貫いている2車線道路は駅を出るとすぐに途切れ、その先の川へのアプローチ部分は未舗装の自転車専用道になっていた。

串良川の橋梁は取り外されていたが、串良駅側の橋台は現存していた。川を渡った先、左カーブして串良駅へと下る路盤も道路などとして残っている。

串良駅も一時期鹿屋方面からの終着駅だったことがあり、構内跡の公園は東串良よりは狭いようだったがそこそこの広さがあった。

公園の一角には踏み切りやホームなどが作られ、気動車が展示されていた。気動車の展示場の壁は駅舎入口をイメージさせる物でなかなか良い感じだったが裏側の実際の展示は酷く、展示する屋根が無くなっていて気動車は外観も内部もぼろぼろだった。町の中心部でもあり、このままほおっておくのは問題だと思うので、そのうち無くなってしまうかも知れない。


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