大隅線廃線跡調査

  1. 志布志〜菱田〜大隅大崎〜三文字
  2. 三文字〜東串良〜串良
  3. 串良〜下小原〜大隅高山〜論地
  4. 論地〜吾平〜永野田〜大隅川西〜鹿屋
  5. 鹿屋〜大隅野里〜大隅高須
  6. 大隅高須〜荒平〜古江
  7. 古江〜新城
  8. 新城〜諏訪〜柊原〜浜平〜垂水
  9. 垂水〜海潟温泉〜大隅麓
  10. 大隅麓〜大隅辺田〜大隅二川〜大隅境
  11. 大隅境〜大廻〜大隅福山
  12. 大隅福山〜敷根〜銅田〜金剛寺〜国分

路線概要

鹿児島県の南東の端にある志布志から鹿屋に向かって大隅半島を横断し、その後錦江湾沿いに北上、国分で日豊本線に接続していた路線が大隅線である。総延長98.3Kmという国鉄の廃止路線の中でも屈指の長大路線だった。

この路線は大正4(1915)年に南隅軽便鉄道(のち大隅鉄道と改称)という私鉄によって軌間762mmの軽便鉄道として鹿屋と古江とを結ぶべく建設が開始された。この鉄道は大正12年には古江〜串良間まで路線を拡大する。その後、昭和10年に全線が国有化されて古江線となり、国鉄の既存路線と接続すべく同年に志布志〜東串良間が軌間1067mmの古江東線として開通する。同時に古江線は古江西線と名称変更された。

その後古江西線の改軌工事が行われ、昭和13年にこれが完成、串良まで伸びていた古江西線と接続して志布志〜古江間の古江線として開通する。

更に国分に向かって工事が続けられ、ようやく国分まで達したのは昭和47年(1972)のことだった。しかし、このころには鉄道が必要な状況ではなくなっており、当初から大赤字を見込んでの開通だった。第2次特定地方交通線に指定されて廃止されたのは全線開通から僅か15年後の昭和62年のことだった。

元が軽便鉄道であるためホームの長さは短く駅構内も狭い駅が多かったようだ。編成両数も3両程度が限界だった様子であった。

古江から国分の間は開通がかなり新しく、ホーム上に待合室があるだけの簡易的な駅がほとんどであったようだ。当初からあまり利用者はいないと思われていたのか行き違い設備のある駅も少なかったようだ。

通常国鉄線は本線から支線が分岐する形なのだが、この路線はその成り立ち上、起点は国分ではなく志布志であったようだ。

大隅線路線図 

停車場一覧
駅名 読み 駅間距離(Km) 累計距離(Km) 開業年月日 廃止年月日 備考
(志布志) しぶし - 0.0 1935-10-28 1987-03-14
菱田 ひしだ 5.5 5.5
大隅大崎 おおすみおおさき 4.0 9.5
三文字 さんもじ 1.0 10.5
東串良 ひがしくしら 5.7 16.2
この間 1936-10-23
串良 くしら 0.6 16.8 1921-08-11
下小原 しもおばる 2.2 19.0
大隅高山 おおすみこうやま 2.5 21.5 1920-12-23 大隅鉄道時代は高山(こうやま)
論地 ろんじ 2.4 23.9 開業時は停留場
吾平 あいら 1.8 25.7 1952年までは姶良(あいら)
永野田 ながのだ 1.5 27.2
大隅川西 おおすみかわにし 1.8 29.0 大隅鉄道時代は川西(かわにし)
下田崎 しもたさき - ? 1938-10-10 大隅鉄道時代は停留場
鹿屋 かのや 3.0 32.0 1915-07-11 1987-03-14
田崎 たさき 2.3 34.3 1938-10-10 開業時は停留場
大隅野里 おおすみのざと 2.8 37.1 1987-03-14 大隅鉄道時代は野里(のざと)
開業時は停留場
滝ノ観音 たきのかんおん - ? 1927-02 1938-10-10 大隅鉄道時代は停留場
大隅高須 おおすみたかす 3.9 41.0 1915-07-11 1987-03-14 大隅鉄道時代は高須(たかす)
金浜 かねはま - ? 1933-06-15 1938-10-10 大隅鉄道時代は停留場
荒平 あらひら 3.9 44.9 1923-12-19 1987-03-14
船間 ふなま 1.7 46.6 1938-10-10 大隅鉄道時代は停留場
古江 ふるえ 1.2 47.8 1987-03-14
新城 しんじょう 4.0 51.8 1961-04-13
諏訪 すわ 1.5 53.3
柊原 くぬぎばる 3.1 56.4
浜平 はまびら 2.7 59.1
垂水  たるみず 2.5 61.6
海潟温泉 かいがたおんせん 3.2 64.8 1972年まで海潟(かいがた)
大隅麓 おおすみふもと 4.9 69.7 1972-09-09
大隅辺田 おおすみへた 2.8 72.5
大隅二川 おおすみふたがわ 3.2 75.7
大隅境 おおすみさかい 3.6 79.3
大廻 おおめぐり 6.2 85.5
大隅福山 おおすみふくやま 3.1 88.6
敷根 しきね 3.3 91.9
銅田 どうた 2.5 94.4
金剛寺 こんごうじ 1.9 96.3
(国分) こくぶ 2.0 98.3

調査概要・今後調査される方への情報

2002年11月3日〜4日調査

レンタカーで志布志側から調査してきました。調査に要した時間は実質21時間といったところです。道路沿いの部分がほとんどで調査困難な区間は特にありませんでしたが、記念館などとしてのこっている駅跡などが多く、それらを全て見ようとすれば調査にかなりの時間が必要です。日没後の調査は困難ですのでこのくらいの調査をする予定なら1日ではとても無理でしょう。私もほぼ丸2日かかってしまいました。羽幌線や深名線などの北海道の長大路線も調査したことがあるのですが、それらに比べて駅間距離が短く、道路事情も北海道とは違うので調査に思いのほか時間がかかってしまいました。

平行バス路線は特に調べていません。志布志から鹿屋に行くバスはあるようでしたが、線路跡沿いに走るのかは分かりません。志布志から鹿屋までは平野部なので徒歩や自転車などでも比較的楽に調査できると思います。鹿屋から先は海岸沿いになるので、平行道路は交通量の多い国道しかありませんし、その国道も勾配が多いので徒歩や自転車での調査は大変でしょう。だからといって車での調査では国道に路上駐車するのは困難なため数多くあるトンネルの調査は困難です。

海潟温泉から国分の間は「鉄道廃線跡を歩く5」に掲載されていますが、その他の区間はまだこの本で紹介されていません。Web上でも下調べをしたのですが情報が乏しく調査は大変でしたが、その分成果も大きく調査を楽しむことが出来ました。

特に鹿屋市街のルートがどうなっていたのか不明(前後の様子からはスイッチバックしていたようにも思えたがそんな情報はどこにもない)だったのですが、志布志方から現在市役所のある場所にあった鹿屋駅にまっすぐ入り、その後左急カーブで180度向きを変えて鹿屋基地沿いに進んでいたことが調査で裏付けられました。鹿屋駅構内もカーブしていたようです。また、ループになる前はスイッチバックをしていたという情報を頂きました。

主要参考文献


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