大蔵線廃線跡調査 1

調査結果

小倉〜大蔵

小倉工場正門。工場の東の端(写真右のあたり)を大蔵線が通っていたらしい。 日豊本線沿いから小倉工場の敷地内を望む。大蔵線は正面(小倉)から手前へと伸びていた。
右上写真の反対側。この道路が大蔵線跡と一致しそうである。 九州歯科大学。写真の左から右へとやや斜めに線路が通っていた感じである。
右上写真と同じ場所。線路が延びていたと思われる方向(写真奥が小倉方向)。 槻田川に残されている煉瓦積みの茶屋町橋梁。
茶屋町橋梁の案内板。 大蔵線に平行している道路。竹下町付近(だったと思う)。
更に進むと道路幅が少し狭くなる。この辺りから線路跡と一致しているのか? 板櫃川に残る橋台と橋脚跡。斜めに川を渡っていたようだ。
コンクリートの堤防に取り込まれた煉瓦の橋台。 川を渡った先。この道路を横切って写真右奥方向が大蔵駅だったようだ。

大蔵線の起点、小倉駅は現在の西小倉駅そのものだったそうである。

今回は面倒だったので西小倉駅に入っていないが、西小倉駅のホームは九州鉄道時代の物をかさ上げしただけだそうなので、今度機会があったら見てきたいと思う。

しばらく日豊本線と併走、JR九州小倉工場の敷地内を通って、工場の正門付近で左にカーブしていく日豊本線と別れてそのまま直進する。

小倉工場の正門からまっすぐに延びている道があり、この道がほぼ線路跡なのではないかと思う。

その先でやや右にカーブするところまでは道路が続くが、ここから線路は国道3号を越えて九州歯科大の敷地を通り、西南西へと進んでいた。

八幡東区に入ってすぐの所で槻田川を越えていたが、ここには煉瓦積みのアーチ橋が残っていた。北九州市の文化財に指定されていて、今後も保存されていくようである。この橋をみると、前後が築堤になっていたことが分かる。

その先も道路が線路跡ではないようで、線路跡には住宅が建ってしまっている。廃止が古すぎるので住宅の新しさなどから線路跡を推測するのも不可能である。

しばらく進んで、大蔵のすぐ手前で板櫃川を渡る。ここには橋こそ残されていないが、県道の橋の隣には煉瓦の橋台がそのままコンクリートの堤防に取り込まれていた。また、川底には橋脚の土台跡も見られた。

大蔵駅は川を渡ってすぐのあたりにあったようだが、さすがに100年近く経った今ではよく分からなくなってしまっている。200メートルほど進んだ所にある公園が大蔵駅の跡のようである。

大蔵〜黒崎

春の町1丁目公園の北側の道路。ここから線路跡が道路となっている。 春の町3丁目と尾倉1丁目の境にある尾倉橋梁。かなり幅が広い。上部の線路跡は道路になっている。
橋梁のたもとにあった説明書き。石に彫ったしっかりした物である。

大蔵から先は八幡東区役所や八幡東署の敷地を通っていたらしい。この辺りはかなり起伏のある土地だったので、橋梁や切り通しがあったと思われるが痕跡は見あたらない。

春の町1丁目公園の北側からは線路跡が道路になっている。更倉小学校の北にあるという煉瓦のアーチ橋は、道路を走っていては全く分からなくて探すのに苦労したが、春の町3丁目と尾倉1丁目の境の、道路の左側がいきなり開けて市道が立体交差しているところがその場所だった。この橋は今も道路の橋として利用されていた。

この少し先からは都市開発で線路跡は完全に失われていて、地図などでその場所を推定するのも困難である。実際に行ってみてもさっぱり分からなかった。

大蔵線は前田地区の鹿児島本線の上下線が少し離れている場所(旧西八幡貨物駅)付近で現在線と合流して黒崎へと進んでいたらしい。


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