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国道を渡ってすぐ。草もなく歩きやすい。 | 国道を渡って100mほどの地点。遠方信号機の確認標識があった。(手前が大嶺) |
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(おそらく)1.5kmのキロポストが倒れていた。 | 地形に沿って緩やかに左右にカーブしながら大嶺に向かって進む。 |
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再び草がほとんど無くなり歩きやすくなる。路盤の真ん中には何やら杭が続いている。 | 2kmのキロポストがしっかり残っていた。この先上りとなる。 |
国道を横切ると再び線路跡が現れる。ここからは築堤の高さはほとんど無くなり、周りの土地とほぼ同じ高さで進んでいく。
線路跡はしばらくは草もほとんど無く歩きやすいが、途中それなりに草が茂っている部分もある。ただ写真を見て分かるように通常の服装でも問題なく歩ける程度でしかない。
国道を渡ってすぐの部分には遠方信号機の確認標識が草を被って建っていた。路盤は地形に沿って緩やかにカーブしながら大嶺に向かって進む。左には道路、右には川がほぼ並行している。途中には1.5kmと2Kmのキロポストが残っていた。路盤の中心には先端を赤く縫った杭(番号が書かれていた)が10mおきくらいに延々と続いていた。これは何の杭なんだろう。
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坂を上ると橋梁に出る。 | 橋梁の桁につけられていた銘板。 |
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平行する道路から見た橋梁。 | 道路をオーバークロス。 |
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道路をオーバークロスしていた煉瓦造りの橋台。少し見にくいが1963-2と掘られていた。 |
ここまでほぼ水平に進んできた路盤は2Km地点から先ははっきり分かる上り坂となっている。
左にカーブしながら坂を上った先には全長44mの鉄橋が残っていた。鉄橋の前後には柵があって渡らないようにと無言の圧力をかけている。渡ろうかとも一瞬思ったが、危険そうだし柵もあることなので平行している道を迂回する。
橋梁には1986年に架け替えられたことを示す銘板がつけられていた。写真の銘板は少し錆びているが、もう一つ中央の橋桁の上にあった銘板はほとんど錆びもなくきれいだった。(遠すぎて写真には撮れなかった)
橋梁を渡ってすぐの地点では道路をオーバークロスしていた。橋脚は撤去されていたが橋台はそのまま残っていた。橋台には1963-2と掘ってあり、開通は1905年だから開通時からのものではないことが分かった(でもこれはコンクリートだったので補強時のものかも知れない)。