美祢線大嶺支線廃線跡調査 2

調査結果

2001年3月29日調査

南大嶺から大嶺まで徒歩で往復して調査してきました。

南大嶺駅
南大嶺駅駅舎 駅舎に隣接したホームにあった駅名標
駅舎に隣接したホームは一部を張り出して長門市行きのホームとなっていた。 旧大嶺支線ホームより大嶺(長門市)方を見る
上記写真の先。大嶺行き列車の通った線路が少し残されていた。右のホームは貨物用ホームだったと思われる。 南大嶺駅遠景。手前が大嶺方向。かつて線路が何本もあったことを示す広大なスペースが残されている。
南大嶺駅遠景。右側に大嶺行きの線路があった。

南大嶺駅で列車を降りると、そこは閑散とした田舎町だった。私の他に乗降客はなく、駅前には商店が2軒ほどあったがそのほかに駅前といった感じのものはなく、利用者もほとんどいない感じだった。かつてはホーム2面3線の構造で、駅本屋に隣接したホームから大嶺支線の列車が出ていたようだが、そのホームはかつて線路が敷かれていた部分まで張り出され、美祢線の長門市方面行きホームに変わっていた。しかしそのホームの駅名標は次駅の表示が大嶺となっていて大嶺支線のホームだったことが分かる。ホームの厚狭方向には大嶺行き列車の通った線路が草むしてはいたものの撤去されずに残されていた。留置線として使っているのかも知れない。

かつてはこれらホームに隣接した線路以外にも貨物用の側線が何本かあったのだがそれらもすっかり無くなってしまい、空き地が広がっていた。大嶺支線の分岐駅としてにぎわったのも過去のものとなり、すっかり寂れてしまった感じである。駅から大嶺に向かっていた線路も完全に撤去されてしまっていたが、その跡はかなりはっきり分かる。

南大嶺〜国道435号
駅を出てすぐの部分は一部道路の拡幅用地に使われている。 左写真のすぐ先。長門市行きの線路を右に分け、まっすぐに築堤が続いている。
草むして築堤を少し進むとすぐに車の通った跡が現れ、歩きやすくなる。使われなくなって横に向けられた信号機が残っていた。(手前が大嶺) 左写真のすぐ先。ここから200mほどは工場の駐車場になっている。

南大嶺駅を出てすぐの部分は100mほど道路の拡幅に使用されている。そのすぐ先で長門市行きの線路が右に分かれていく。大嶺行きの線路跡はほぼまっすぐに進む築堤がはっきりと残っていた。

築堤は最初は草むしていて普通の服装では進むのが大変だったが、それはほんの50m程度である。ちなみに全線の中でもっとも草が茂っているのがこの部分だった。少し進んだ踏み切り跡からは車の通った跡が現れ、草もほとんど無くなって非常に歩きやすくなる。その踏み切り(広瀬第1踏み切りと書いた標識が残っていた)の跡には使われなくなって横向きにされた信号機が残っていた。

線路脇に張られていた通信用の線は、木製の電柱共々半分くらいの区間でそのまま残っていて、所々で切れてはいたがそのまま残っている部分もかなりあった。

更に少し進むと工場の駐車場に突き当たった。ここから200mほどは駐車場として利用されていた。駐車場には関係者以外立ち入り禁止の看板が立っていたのでその脇の道の工場との間の道を進む。

工場の駐車場が終わるとそこは国道435号だった。当然踏み切りがあったはずで、その跡がないかと思ったがはっきりした跡を見つけることはできなかった。交差点直前なので大嶺支線が配線になったあと改修が行われたのではないかと思われる。


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