名寄本線廃線調査 2

調査結果

上名寄〜矢文

上名寄駅跡にあるバス待合所と駅名票。 上名寄駅の駅前風景。

上名寄駅跡は貯木場になっているが、バスの待合室の脇に駅名票が立てられていた。辺りには僅かに集落があり、道路もこの付近だけ広くなっているので見つけやすい。

矢文〜岐阜橋

矢文駅があったはずの上名寄16線付近。駅跡どころか路盤跡も分からない状態だった。

矢文駅跡は農協か何かの施設当のある辺りなのかと考えられたが、痕跡は見つけられなかった。場所的には右の写真のあたり(上名寄16線というバス停の辺り)のはずなのだが、線路が通っていた痕跡すらよく分からない。

続く岐阜橋駅は事前に地図に書き込んだときに駅の存在を見落としていたために見逃してしまった。19線という道路?が名寄川を渡る橋が岐阜橋という名前であり、この道路と線路が交差していた辺りに駅があったようだ。

岐阜橋〜下川

下川駅跡に展示されているキハ22。中は畳敷きなどになっていた。 下川駅跡のキハ22。「ましけ」「大雪」「快速空港ライナー」などのサボが差されていた。
線路跡は道路に変わっている。 下川町バスターミナル合同センターの前に建つ鉄道記念碑。

下川駅跡には「下川町バスターミナル合同センター」が建ち、裏手の広場に気動車の2両編成が展示されている。少し痛んできている様子だったのが残念である。

バスターミナルの表側には「鉄道記念碑」という名寄本線の沿革を記した碑が建てられていた。

下川集落内の線路跡は立派な道路に生まれ変わっている。

下川〜二ノ橋

下川集落の先には下糠川橋梁が残っている。 下糠川橋梁を脇から見る。
二ノ橋駅にはいるためだったと思われる舗装部分。 二ノ橋駅跡。草むしていて何も残っていないようだ。

下川集落の先に川を渡っていた箇所があり、近くを通る道路があるようなので行ってみた。すると「下糠川橋梁」と書かれた橋梁が上部の線路のみはがされた状態で残されていた。

橋の先の路盤は森の中に消えている。

しばらく国道と名寄川を挟んだ対岸を通っていたが、国道が川を渡った先で線路をオーバークロスしていた場所があり、その直前が二ノ橋駅だった。

二ノ橋駅跡は駅に入るためだったのだろう舗装部分が道路からすこし伸びているが、駅舎や路盤跡は全く残っていない。しかしすぐ先の国道をアンダークロスしていた跡だけはそのままである。


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