七尾港線(七尾線貨物支線)3

調査結果

2001年2月27日

港へと続く廃線跡
旧線との合流点付近。奥が七尾港。 杭が抜かれた穴が見える。
杭の打ち換え作業をしている人に出会った。費用を出して保守してくれていると言うことである。 手つかずで残っていた廃線跡もここまで。この先はフェンスに阻まれてしまった。

現七尾駅から来た路盤はそのまま七尾港へと向かって先ほどよりも更に緩やかなカーブを描きながら進んでいる。路盤の周りには杭が打たれて鉄線が張られていたり木の枠で囲まれていたりして進入できないようになっていたのでここを歩いても良いのか心配になった。途中で杭を打ち換え作業をしている人に出会ったので聞いてみると車が入るためにこのようにしているとのことで、この廃線跡を歩くのは一向に構わないとのこと。これで安心してこの先も歩くことができた。確かに車の入ったあとがあり、道路との交差地点では杭が引き抜かれている場所もあり、酷いことをする人がいるものだと腹立たしく思った。 

写真を見ると分かるが廃線跡は築堤となって周りより高い部分を通っている。両側にはかなりスペースがあってこの線路が敷かれた頃は充分な土地の余裕があったらしいことが分かる。冬の弱い太陽が照りつけ、緩やかな風が吹いていて歩くのには非常によい条件だった。途中で犬の散歩をしている人や何をしているかはよく分からなかったが数人で遊んでいる中学生らしい子たちに会い、この場所が川の堤防のような憩いの場所としての役割をしていることが分かった。

杭を打っている人がいたと言うことはどこかが費用を出して保守してくれていると言うことであり、よく考えればほったらかしにされているならもっと草が生い茂っているはずであり、このような保守をしてくれるのは非常に嬉しいことである。是非これからも残していってもらいたいものだが、国鉄精算事業団の看板が立っていたことから見てまだ精算事業団の所有ではないかと思われ、この先民間に売られて大きく変わってしまう可能性もあると思われる。

面影がなくなりつつある七尾港駅
七尾鉄道発祥の地説明書き クリックで左部分の拡大写真表示
フェンスのくぼみにあった七尾鉄道発祥の地の記念碑とSLの動輪。 記念碑に添えられた説明書き。
僅かに残っていた道路を横切る埠頭への引き込み線。 積み込み線の跡と思われるレールが港に平行して僅かに残る。
右上写真と同じ場所。この先は元々行き止まりだったようだ。 一つ上の写真の左側の通運会社の地内。土が積まれている部分にレールが続いていたようだ。
この埠頭へも引き込み線があったようだがその跡は確認できなかった。埠頭は近々作り替えられるようだ。 七尾港駅跡はフェンスに阻まれ確認できない。

港の手前まで来ると再び大きな道路に突き当たる。そしてその先は背の高いフェンスが立ちふさがっている。フェンスは港に行くにつれて両側に大きく広がっている。どうやらここが七尾港駅で、貨物扱いのためのレールが何本も敷かれた大きな駅だったことが予想された。フェンスの切れ目はなく、残念ながらフェンスの中の様子を見ることはできなかったが何やら重機が作業をしていたことからこれから何か建物でも建つのではないかと思われる。

フェンスの脇を進むと少しだけフェンスがへこんでいる部分があり、そこに七尾鉄道発祥の地の記念碑とSLの動輪があった。

埠頭まで行き着くと埠頭への引き込み線のレールが道路を横切っている部分を発見。昔はこのように何カ所も道路を横切っているレールがあったようなのだがこの1カ所しか発見できなかった。すぐ先は通運会社?の土地になっていてレールは取り外されてしまっていた。しかしこの通運会社の土地の脇には積み込み線跡ではないかと思われる港に平行したレールが少しだけ残されていた。

別の埠頭に行ってみる。七尾港駅駅舎が会ったらしい位置の先の埠頭で、昔は埠頭の先までレールが敷かれていたようなのだがその跡をはっきり確認することはできなかった。埠頭は立ち入り禁止で、看板によると近々新しく作り替えられる予定のようだった。七尾港駅駅舎があったと思われる付近もフェンスの中になってしまっていて全く分からなかった。

港周辺はこれから大きく変わっていくことが予想され、僅かに残る引き込み線のレールなども長くは持たないのではないかと思われる。


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