七尾線(輪島線)廃線調査 8

調査結果

輪島駅跡

輪島駅の駅舎は道の駅の建物に建て替えられていた。 鉄道駅時代に駅舎に取り付けられていたと思われる「輪島駅」の銘板が建物に取り付けられていた。
現役時代1番線として使われていたと思われる線路がほんの少しだけ残されていた。 壁にはのと鉄道の列車の写真が書かれ、現役時代に名物だった次はシベリアと書かれた駅名票が建てられている。
車止めがあったと思われる場所は駐車場になっていた。正面がホーム方向。 駅で必ず見かけるNAVICAの周辺案内図が駅でなくなっても存在した。
道の駅の建物では緑の窓口まで営業していた。 現役時代改札口があったと思われる場所。
道の駅の案内標識。鉄道駅の跡に作られたことが書かれている。 建物内にある鉄道記念ルーム。会議室のような部屋にのと鉄道時代のパネル写真が飾られている。

輪島駅跡は道の駅として生まれ変わっていた。現役時代はコンクリート造りの重厚な駅舎であったが、取り壊されて道の駅の建物に変わっていて当時の姿はどこにもない。現在の建物は駅舎があった場所よりも奥まった位置に立てられているようで、駅前が広くなったように感じた。

道の駅の建物に輪島駅と書かれた銘板がつけられていた。その古さ加減から駅舎解体の際に取り外して新たに建てた建物に取り付けたものと思われる。

また、ごく一部ではあるがホームがあった部分の線路が残されていて、列車がやってきている写真が飾られている。その脇にはこれまた短いがプラットホームが作られ、現役時代使われていなかった2番線に残っていて名物となっていた次の駅が「シベリア」と書かれた駅名票が再現されていた。

ちなみにこの駅は当初2面3線の駅だったようだが、末期に訪れたときには駅舎に面した1番ホームのみが使われていて、2番線、3番線は線路も外されていた。

ホームの先の線路終端部分だった付近は駐車場になっていてこれまた当時の面影はなくなっている。

道の駅の建物に大きな駅では必ず見かけるNAVICA周辺案内図を発見。まだ駅に未練があるのだろうか。さらに、みどりの窓口まで営業していたのにはちょっと驚いた。のと鉄道当時も見かけ上第3セクターの駅なのにみどりの窓口がある異色の駅だったが(施設はJR西日本のものだから実は駅舎はJRのものだったのだろう)、駅でなくなってしまった今でも営業しているということは公共交通機関を必要としている人は決して少なくないと言うことを表しているように思える。

そのみどりの窓口のある建物の一角に鉄道記念ルームのようなものがあった。鉄道時代のものがいろいろ展示されているのかと思ったら通常の会議室のような場所で拍子抜けしたが、壁にのと鉄道時代の写真が飾られていた。

道の駅となった輪島駅跡は大勢の人で賑わっていた。この日は能登空港にある航空学校の生徒がバスで大挙して訪れていたために特に混雑していたようだが、道の駅の駐車場は満車に近く、一般の観光客も少なくない様子である。タクシーも何台も客待ちしているし、バスもここを拠点に発着しているようで、駅前の様子は鉄道駅とほとんど変わらない。現役時代はもっとひっそりしていたように思ったが、道の駅となったことで賑わいを取り戻したようである。その様子を見ると鉄道を廃止したのは正解だったと思わざるを得ないように感じた。


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