美濃町線廃線跡調査 3

調査結果

神光寺〜松森

現役時代を彷彿とさせる神光寺駅跡。 神光寺駅下りホームに残る看板と駅名標の枠。
県道と交差した先のガーター橋。ここに踏み切りがあった。 左写真の反対側。住宅街の中の路盤も完全に残っていた。
松森駅手前の鉄橋もしっかり残っていた。 松森駅ホームも完全な形で残っていた。

神光寺駅は新関〜美濃間で唯一の行き違い可能駅だった。これまで住宅地の中を走ってきたのにこの駅周辺だけ住宅が非常に少ない。しかし、駅跡のすぐ脇には学校があったので、需要は大きかっただろう。

この駅は相対式のホームが2面とも残り、下りホームに建っていた案内看板が残り、駅銘板も枠だけは残っていた。自転車置き場も残っていて、現役時代を思い描かせる風景である。

神光寺からは路盤が田圃の中を直線で伸びている。初代神光寺駅は晩年の位置よりも400mほど北にあったらしいが、その跡はよく分からなかった。

暫く進むと盛り土で高さを増し、左カーブして県道を横切っていた。この部分は県道も逆にS字カーブを描いて交差していた。県道の踏み切りは完全に撤去されてしまっていたが、S字カーブは元のままである。県道を横切ったすぐ先で、県道と平行している小川を渡るガーター橋が残っていた。

県道と交差した後は住宅地の中を進む。竹藪の脇を進むと赤谷川に突き当たるが、鉄橋が完全な形で残っていた。まだほとんど傷みは見られない。

赤谷川を渡って少し進むと松森駅跡となる。片面ホームだけの駅だが、カーブしていたホームが完全に残っていた。

松森〜美濃町駅前〜美濃

美濃町駅前電停跡。掘り割りの広くなった部分で、ホーム土台の石などが残る。 終点の美濃駅。広い構内跡はそのまま。
美濃駅駅舎。今後も保存されていくようである。 美濃駅ホームに展示されている2両の電車。

松森駅の先では東海北陸道工事のために路盤が工事用の道路に転用されていた。少し土がかぶせられていた感じだが、大きくは変わっていなかった。工事終了後はまた歩けるようになるのではないかと思う。

東海北陸道をくぐって少し進むと掘り割りとなり、緩やかに左カーブしている。そのカーブの途中、跨線橋のある付近が美濃町駅前電停だったようだ。駅跡は掘り割りの幅がやや広くなっていて、良く見るとホームに使われていたのであろう低い石積みなどが残っていた。このすぐ東が長良川鉄道美濃市駅である。

美濃町駅前電停を過ぎるとすぐに広い空き地に出る。ここが終点の美濃駅跡。車庫などがあったため敷地はかなり広い。線路は撤去されているが構内敷地はそのままである。駅舎とホームの一部はそのまま整備保存されていて、ホームには2両の電車も保存されている。この日は土曜日で時間も遅かったので駅舎内には入れなかったが、普段は公開されているようだ。駅銘板は「旧名鉄美濃駅」となっている。


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