美濃町線廃線跡調査 1

調査結果

関〜下有知

新関駅の先の線路付け替え開始地点。架線柱が木からコンクリートに変わっている。 左写真の15mくらい先。旧線は現在線の向こう側の草むら部分を通って道路中央へと出ていた。
現在線の道路を横断する踏み切り部分から手前へと線路が出ていた。 線路の通っていた道路中央部は導流帯となっている。
道路中央から道路端へと移っていた部分。導流帯も同じように道路端へと移る。 途中の橋。下をのぞき込むと鉄道橋が残っていた。
右上写真とは別の橋。ここも橋の下を覗くと鉄道跡と明確に分かる。 線路跡の部分は広い路側帯となって続いている。
カーブ部分で線路跡の路側帯が一旦途切れたが、この部分だけ車線幅の拡幅に使われたようだ。 下有知駅に到着。未舗装のところがホーム跡。

関から新関までの延長区間は関駅から180m地点から線路が付け替えられた。その付け替え地点は道路に出るための急なS字カーブの始まる地点で、架線柱が木からコンクリートに変わっていることではっきりと分かる。

従来線はこの地点から左カーブを切りながら県道の中央へと出ていた。

県道は再舗装がされているが、線路が通っていた部分は車の通らない導流帯になっていて一目瞭然だった。

線路は400mほど県道中央を走ってから県道の西の端に移っていた。なぜこんな短距離だけ中央を走っていたのか不思議である。線路の通っていた道路端の部分は現役時代は一部未舗装だった。現在は広い路側帯となっていてはっきりと面影をとどめている。車が通行できないようにご丁寧に車道との間にポールまで建てられていて非常に歩きやすい。

途中の橋は路側帯も道路の一部という感じになっているが、線路は専用橋のような形で渡っていたようで、橋の下をのぞき込むと鉄道の橋脚の上に道路をかぶせたことが分かった。

下有知駅手前の道路が右カーブする部分で一旦線路跡が消えていたが、どうやらこのカーブ部分だけは国道の拡幅に利用されたようだ。この先もすぐに広い路側帯として復活していた。この右カーブを過ぎるとすぐに下有知駅となる。

新関から下有知までは約2Km。やっと到着したという感じだった。この先も駅間距離はこのくらいで、路面電車としてはかなり長いのではないかと思う。やはり郊外電車の性格が強い路線だったと分かる。


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