三河線未成部調査

  1. 西中金〜国道との交差部
  2. 国道との交差部〜路盤終端

路線概要

名鉄三河線は三河鉄道がその前身で、路線は大正11年に越戸まで開通。好景気で業績も良く、更に足助までの延長が決まり、昭和3年に西中金までが開通した。この先も西中金から足助町追分付近までの用地買収と路盤工事が終了したが、それ以遠は用地買収が難航、更に昭和初期の世界不況で経営が悪化し、足踏み状態が続いた。しかし延長計画はあきらめることなく、昭和16年に名古屋鉄道へ合併後も工事施設期限延長の申請を続けてきた。

しかし戦後、道路整備が進んだことで昭和33年、同計画は断念された。

足助までの延長がかなわなかったことで猿投〜西中金間は乗客が少なく、架線を取り外して軽快気動車で運行しているが、赤字が増えつつある名鉄にこれ以上の路線維持は難しくなり、廃止がほぼ決定した。地元の懇願でとりあえずもう暫く運行が続けられることになったが、数年以内に廃止される可能性は非常に高いようだ。

西中金駅周辺の地図Map Fan Web

調査概要・今後調査される方への情報

2002年2月16日調査

西中金から足助手前の白鷺温泉付近(県道との合流部)まで徒歩で調査してきました。西中金から足助までは7.4Kmの路線になる予定だったようですが、路盤跡が残っているのはこれより少し手前の豊田市と足助町の境界付近まででした。西中金から4.5Km程度です。

ここまでの路盤跡はほぼ完全に残っています。一部を除いて舗装道路になっているので路盤上を歩くことが出来ます。道路化されていない部分は草が生い茂っていて歩くのは困難な部分もありましたが、歩行困難な距離は僅かですし、平行している国道からも確認できる部分がほとんどです。

帰りは西中金まで並行して走っている名鉄バスを利用しました。本数は列車に接続するように毎時1本設定されています。鉄道の果たせなかった夢をバスが代替していると言えるでしょう。

所要時間は1時間30分ほどでした。

主要参考文献


目次ページへ