名羽線・羽幌炭坑鉄道廃線跡調査 1

調査結果

2001年8月25日(土)

名羽線は名寄・朱鞠内側が起点となるはずだったと思われるが、今回は羽幌側から調査を始めたので羽幌線と分かれる築別から順に書きます。

築別〜曙(羽幌炭坑鉄道)
草地と化していた築別駅跡。 川沿いに進む路盤跡を利用した道路。
道道から見る第1築別川橋梁。 第2築別川橋梁?(記録していないので違うかも・・)
道道から見る第2築別川橋梁。 第3築別川橋梁。橋桁の作りも桁間距離もそれぞれ異なっている。

この区間は羽幌炭坑鉄道の区間であるが、名羽線全通時には国鉄線となる予定だったと思われる。

羽幌線と接続していた築別駅跡は少し土の盛り上がった草むした空き地となっていた。羽幌炭坑鉄道は羽幌側に向かって出発していたので、羽幌に行くにはここでスイッチバックが必要だった。

駅を出てすぐに南西に進路をとり、しばらくは平野部を川に沿ってまっすぐに進む。線路跡は砂利が敷き詰められた道路になっていたが、元々石炭運搬用の軽便鉄道だからか時が経つ内にそうなってしまったのか分からないが、かなり起伏が激しかった。

7線の道路沿いの辺りに七線沢の駅があったそうだがよく分からなかった。

両側に山が迫ってきて線路は次第に谷沿いへと入っていく。路盤も草が生い茂っていて通ることは出来ず、遠くから眺めるのみにする。

上築別駅跡(未調査)を過ぎるといよいよ谷が狭まり、蛇行する築別川を3度渡る。その川にかかっていた橋梁は全て撤去されることなく残っていた。ここは国鉄線ではないので廃止後の撤去作業はほとんど行われていないのだろう。国道のすぐ脇に古びた橋梁が残っているのを簡単に確認できる。戦時中にスクラップを各地から集めてきて作ったことを物語るかのように、橋桁や橋脚の作りがそれぞれ異なっているのが興味深い。

川を3度渡ると、曙の集落へと入っていく。ここに曙駅があり、三毛別まで暫定開通していた名羽線との分岐駅となっていたのだが、その駅跡は林に埋もれてよく分からなくなっていた。ホームが残されているようだが、蜂が飛び交っていたので怖くなって探すのはやめた。曙の集落は廃校になった小学校と民家数件が残るのみであった。

曙〜築別炭坑(羽幌炭坑鉄道)
築別炭坑に残る巨大ホッパー。 築別炭坑に残る崩れた消防署跡。

曙から北西に進路を変えた線路はそのまま谷に沿って築別炭坑まで続いていた。平行する道道からは路盤跡らしい築堤などが所々に確認できた。

築別炭坑跡は道路脇に巨大ホッパーが残り、炭坑があったことを強烈に知らしめている。その先には広大な空き地が残り、かつて石炭列車がひしめいていたことを伺わせる。また、崩れた建物などがいくつか残されていたが、人の住んでいる形跡は全くなかった。

曙〜三毛別(名羽線)
三毛別川の名羽線橋梁跡。橋梁は跡形もなくなっている。 川に平行して一部崩された路盤が続いている。
三毛別駅のあった羽幌抗跡。ここにもホッパーが残る。

曙駅からは国鉄線として工事が行われた区間である。

曙を出てすぐに築別川を渡り、蛇行する三毛別川を何度も渡りながら谷の奥へと進む。

橋梁はすべて撤去済みのようで、川には撤去工事跡と思われる工事跡が残るのみであった。しかし、所々に路盤跡と思える築堤が残っていた。

三毛別駅のあった羽幌抗跡にも、築別炭坑よりやや小規模なホッパーが残されていた。ここから曙間が石炭輸送に使われた唯一の開通区間である。

三毛別〜白地畝信号場

線路はここから南に向きを変えてトンネルで小さな峠を越える。同じく峠を越える道道が近くを通るが、道道から線路跡を確認することは出来なかった。峠を越えた上羽幌地区ではトンネル出口と道道はかなり近そうなので頑張ればトンネル出口を確認できそうであるが、今回は確認していない。

峠を越えて上羽幌地区に出た所に上流駅が作られる予定だったようだ。駅予定地等は探索していないので分からない。

上流駅を出ると羽幌川を2度渡る。「廃線跡を歩く」にはここに幅広い谷を越える橋脚の円柱がずらりと並んでいる写真があるのだが、今回道道から見た限り確認できなかった。この写真の場所はてっきりもっと奥地だと思ってしっかり探していないこともあるのだが、もしかしたらすでに撤去されてしまったのかも知れない。

この辺りから急激に高度を上げ初め、橋梁とトンネルを繰り返しながら山の奥へと突入していく。この先は平行道路は林道となり、調査は困難になってくる。今回林道までは入っていないのだが、この林道も羽幌二股ダムまでで、その先一般車が入れる道はないようだ。

この先の路盤は「マキタ産業」の石炭搬出路として使用されているようで、「廃線跡を歩く」には許可を得て奥地まで踏み込んだ写真が載せられている。しかし一般人が通ることは出来ないようで、調査は非常に困難である。今回はここで引き返した。

線路はこの先天塩山地の最深部を橋梁とトンネルを繰り返しながら進み、幌加内町との境界のピッシリ山のを苫竜トンネルで抜ける。その苫竜トンネルの手前に白地畝信号場が作られていたらしい。ここまでいった人は果たしているのだろうか?いたら是非教えて欲しい。


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