名羽線・羽幌炭坑鉄道廃線跡調査

  1. 2001年 築別〜羽幌炭坑、曙〜白地畝信号場
  2. 2000年 白地畝信号場〜朱鞠内
  3. 2007年 築別、築別炭坑
  4. 2007年 上流〜白地畝信号場

路線概要

名羽線は名寄と羽幌を結ぶ予定だったことからこの名が付けられた。民家など全くなく、熊しか住まない山の中を貫く壮大な路線計画だった。平行道路は全くなく、しかも冬季は厳冬の地となるこんな場所に鉄道を通そうとはよく考えた物である。路線の目的は名寄と羽幌の連絡であるが、実際は羽幌炭坑鉄道の曙から深名線の朱鞠内の鉄道として建設されていた。完成した暁には羽幌炭坑鉄道の築別〜曙は国鉄が買収し名羽線に編入となる予定だったと思われる。また、線名及び国鉄の路線は本線に接続する形で作られることから考えて、深名線名寄〜朱鞠内も名羽線となる予定だったのではないかと思われる。

大正4年の「鉄道敷設法」に予定線として掲載されたものの、工事着工は昭和37年。着工当初は羽幌炭坑が全盛の時代で、貨物輸送での需要が期待されたのだろうが、完成が近づく頃には炭坑は閉山され、路線の過疎化も進み、完成させても使い道がない状況となってしまっていた。それでも工事は細々と続けられたが、昭和62年にはとうとう接続する羽幌線が廃止となり、路線の存在意義が無くなってしまったため工事は中止された。

全長3225mの苫竜トンネルを含む路盤の80%以上が完成していたらしいが、工事中止はやむを得なかっただろう。

朱鞠内駅から上流駅が予定されていた上羽幌地区の間は熊しか住まない山奥であり、駅を作る予定もなかったようだ。ただし、苫竜トンネルの築別側に白地畝信号場が作られる予定だった。

なお、曙〜三毛別は着工して7ヶ月で完成、国鉄の非営業路線として石炭輸送を開始していた。

羽幌炭坑鉄道は内陸の築別炭坑(後の羽幌炭坑)の開発と一体化して建設された鉄道で、炭坑と国鉄羽幌線を結ぶ石炭鉄道だった。昭和14年、日中戦争による石炭増産の国策を背景として開発されたため、物資が逼迫していた時期なので各地で探したスクラップ同然の橋桁を集めて建設されたらしい。

その後しばらくは繁栄を極めたがエネルギー革命によって衰退し昭和45年の炭坑閉山とともに鉄道も廃止となった。

羽幌炭坑鉄道路線図
羽幌炭坑鉄道路線図

名羽線路線図
名羽線路線図

調査概要・今後調査される方への情報

2000年8月27日調査

このときはバスで深名線の調査をしてきたのだが、朱鞠内周辺を徒歩で調査した時の深名線関係の写真が少しあるので載せておきます。

2001年8月25日(土)調査

名羽線の築別〜曙は羽幌炭坑鉄道の路盤を流用する予定だったようであるから、今回は羽幌炭坑鉄道も合わせて調査してきた。全線レンタカー利用の調査なので道路から離れているような部分はほとんど見ていません。特に名羽線は羽幌側はまともに見られる部分はほとんどありませんでした。もう少し頑張れば橋梁跡等が発見できたと思うが、今回は時間(と車の残り燃料)に押されたため調査といえるようなものにはなっていません。朱鞠内側も2日後の27日に営林署によって林道封鎖されている箇所まで行く予定だったのですが、大雨のため断念せざるを得ませんでした。出来ればリベンジしたいと思っています。

築別からしばらくは川に沿ってまっすぐ南西に向かっていたが、路盤跡は砂利道として残っていた。車でも通ることは可能と思う。すぐそばを併走する舗装道路はないが、交差する道路なら何本かあるので確認は難しくはない。

羽幌炭坑鉄道の曙から築別炭坑の部分は今回急に調査に加えたため地形図を持っていかなかったので築別炭坑跡を見ただけです。線路あとは所々に築堤等として残っていました。

名羽線の曙から三毛別は道路沿いを走っていたのだが、今回羽幌抗(三毛別駅)跡意外は何も見つけられませんでした。三毛別から上流(上羽幌地区)は山越えです。上羽幌地区のトンネル出口は道路から近そうなので頑張れば発見できそうですが今回は頑張らなかったので未発見です。

上流から先は道道と離れ、橋梁とトンネルの連続で急激に高度を上げていたらしい。上流駅の先の森林の中の第2羽幌川橋梁の写真が「廃線跡を歩く」にあるが、今回発見できなかった。(というより位置を間違えていてこんな平野部にあると思っていなかった・・)それより先は羽幌二股ダムまでは林道があるようだが今回はそこまで行っていません。

更に先は「マキタ産業」の石炭搬出路に使用されているらしいが、一般のものが入ることは出来なさそうである。

ハイライト部分の苫竜トンネル付近は平行道路は全くなく、徒歩でも到達は困難な山奥で、ヒグマも頻繁に出没するらしく、数ある廃線・未成線の中でも最も調査困難な箇所であると思われる。

この先朱鞠内に直接抜ける道はなく、朱鞠内に行くには羽幌の更に南の苫前から添牛内を経由していくしかない。今回、朱鞠内側の調査は前述のように断念したのですが、下調べした情報を掲載しておきます。

朱鞠内側は、朱鞠内駅跡の先に分岐していく路盤が残り、その先にはトンネルも残っているらしい。更に先は林道と平行して朱鞠内川沿いに東に進み、谷を奥の方までさかのぼったあと苫竜トンネルに入る。平行する林道を途中までは入ることが出来るらしい。途中でゲート封鎖されているが、営林署の許可を受ければその先もいけるらしい(目的が廃線跡調査でも可能だそうだ)。頑張れば個人でもトンネルまで到達することが出来るように思うが、熊対策は万全にしておく必要があるだろう。廃線跡調査に適しているのは草の茂っていない春先や秋だが、この季節は熊の積極的な活動時期でもあるので要注意である。この路線は1人で調査するのは止めておいた方がよいだろう。

2007年10月6〜7日調査

沿岸バスのツアーに参加して、羽幌炭坑、築別炭坑跡、築別駅跡と一般人立ち入り禁止の羽幌側路盤(第2二股トンネルから中の二股川橋梁の区間)を見てきた。トンネルと橋梁の連続で、その路盤を歩くことも出来た。ただ、橋梁の風化が進んでいて徐々に危険な状態になりつつあるという印象だった。

主要参考文献


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