山肌に取り付いて神威岬へと登っていく。 | 神威岬の灯台。灯台のすぐ下が線路跡。灯台の感じからほとんど垂直に見上げている写真であることが分かってもらえるだろう。 |
灯台下の線路跡からの眺め。目梨泊の集落が見える。 | 目梨泊駅跡。1本の立木と小屋のようなものが残っているだけだった。 |
斜内を出るとすぐに山が海まで突き出ている神威岬にさしかかる。興浜北線唯一の難所で、線路は山に沿って少し高度を上げ、山にへばりつくようにして海に突き出た岬の灯台直下を急カーブで抜けていた。この区間は国道はトンネルで抜けるように改良されているが、岬を通る旧道も観光道路として残されている。
岬へと上っていく道床は旧道脇の山腹にはっきりと残っていた。灯台直下の部分は線路跡まで上ってみたが、かなりの急カーブである。灯台下は崖のような急勾配である。灯台の上あたりまで登りたかったが、灯台への階段は通行禁止だったし、そのほかに道はなさそうだったのでやめた。「廃線跡を歩く」の写真はどうやって撮ったのだろう?この後線路は再び山に沿って下り、平野部に出る。この区間は線路は国道より高い所を走っていたので、かなり眺めは良かっただろうと思えた。
再び平野部に出た所に目梨泊の集落がある。目梨泊駅跡は国道脇に空き地として残されていた。駅舎などはなく、駅前にあったのだろう1本の木だけが残っていた。
目梨泊から先は、近くまで山が迫っているとはいうものの、断崖絶壁のような場所はなく、線路は国道脇を多少高度を上げ下げしながら進んでいたようだ。今では藪の中になってしまっているような場所が多く、国道からはっきり見える場所は少なかった。
問牧駅跡は国道から少し入った場所にコミュニティーセンターとなって残っていた。
再び藪の中に隠れた線路跡は、そのまま国道脇を進み、枝幸市街に入る。国道は枝幸の町の脇を迂回しているが線路はそのまま街中へと入っていた。国道が線路を跨いでいた跨線橋は今でも残り、跨線橋をくぐった跡の線路跡は町内を貫く道路へと変貌していた。その道路には「興浜通り」という名称が付けられているようで、その突き当たりには駅跡を示す碑の建つ小公園があった。その向かいにはバスターミナルがあり、隣には駅前食堂が残っていた。