興浜北線廃線跡調査 2

調査結果

浜頓別〜豊牛〜斜内

浜頓別駅跡に建つ立派なバスターミナル 浜頓別駅跡から北見枝幸、音威子府方向を見る。
浜頓別駅跡から稚内方向を見る。広大な敷地は未舗装の駐車場などとして利用されていた。 天北線と分かれて東に向きを変えてすぐの辺り。用水路?に変わってしまったようだ。右奥が浜頓別駅。
右上写真の反対、豊牛側。農道として利用されている。 頓別川を渡ってすぐの部分。浜頓別方向を見る。写真では分からないがすぐ先が川である。
頓別川を渡ってすぐの部分。豊牛方向。草むした路盤が続いている。 国道と平行し始める付近の路盤(写真中央を貫いている)。路盤に風車が建っていた。右奥が豊牛方向。
路盤跡では更なる風車の建設工事が行われていた。 民家の裏手にぽつんと残る豊牛駅駅舎。
豊牛駅駅舎内に残っていた時刻表。 民家として利用されている斜内駅駅舎

天北線との接続駅であり、興浜北線の起点駅となっていた浜頓別の駅跡は立派なバスターミナルになっていた。しかし辺りは閑散とし、あまり人の姿を見かけなかった(訪れたのは日曜の午前9時過ぎ)。南北に伸びる構内跡地はあまり手が付けられていないようでバスターミナル以外の建物等は建っていなかった。

浜頓別を出た興浜北線は、市街が途切れた所で天北線と分かれて東に向きを変えていた。その部分には道路の跨線橋があったようだが、訪れたときにはすでに取り壊されてしまったようで見つけられなかった。

東に向きを変えた線路を横切っていたはずの道路に行ってみると、豊牛に向かって伸びる路盤を発見。しかし浜頓別側はどうやら用水路?に作り替えられてしまったようだ。

線路はこの先で頓別川を渡っていた。川のすぐそばまで行く道路はなく、国道の橋から眺めただけだが、橋脚や橋桁は残っていなかった。川を渡った先の路盤には近づくことが出来、そこから路盤を歩けば簡単に川まで行けたのだが、時間的に厳しい状況だったのでそこまではしていない。この先の路盤も田圃の中に草むした状態で放置されている。

だんだん国道に近づき、海沿いを走る国道に平行した路盤はそのまま国道脇を並行して走っていた。その路盤の一部には風力発電の風車が建っていた。更なる風車の建設工事も行われていて、良い再利用方法だと思った。

豊牛の集落にあった豊牛(とようし)駅は、「廃線跡を歩く」には跡形もないと書かれていたし、駅前道路というような道もなさそうだったのであきらめて次に進もうかと思ったが、それでも一応探してみると、なんと駅舎が残っているではないか!下頓別に抜ける道路の分岐するすぐ手前の部分の民家の裏のような場所に駅前広場とプレハブのような小さな駅舎が残っていた。入り口には鍵がかけられていて駅舎内にはいることは出来なかったが、窓が開いていたのでそこから中の様子を見ることが出来た。駅舎内には当時の時刻表がまだ掲げられていた。その時刻表は列車本数が少ないからか列車番号まで書かれていたのだが、列車番号が数字だけということは全て機関車牽引の客車列車だったようである。ホーム部分は草むしていてホームは見えなかったが、歩き回ってみるとホームのあったと思われる部分が盛り上がっているのが分かり、土の下にホームが埋まっているのではないかと思えた。

次の斜内駅も国道脇にあったはずだが、集落には民家が点在しているだけでどこが中心部なのか分からず、駅がどこにあったのか分からない。国道を行きつ戻りつしてやっと駅舎を発見した。駅舎はこれまた民家の裏手のような場所にあった。この駅舎は民家の離れとして使われているようで、玄関が作られていた。民家では詳しく調べるのも失礼なので写真だけ撮ってそそくさと引き上げる。


目次ページへ