北恵那鉄道は、岐阜県東濃地方、中央本線の中津川駅に隣接した中津町駅から、付知川に沿って下付知までの22kmを走っていた北恵那鉄道線をメインに運営していた私鉄。今回はこの北恵那鉄道線の廃線跡を見てきた。
中央本線の中津川駅に隣接した中津町駅から、付知川に沿って下付知までの22kmを走っていた私鉄。
木曽川にダムを造ることによって河川を利用した木材運搬ができなくなることの見返りとして建設されたようだ。森林資源の輸送と沿線住民の足として活躍していたが、モータリゼーションによって貨物輸送が廃止されたあとは、昼間の輸送をバスに切り替えて朝晩のみの運行として何とか延命させていた。
ここまでして何とか延命させていたのは、この路線に並行する形で中津川駅と高山本線下呂駅を結ぶ国鉄下呂線が建設予定となっていて、建設の際に路盤の買い取りや補償金が見込めることが有ったように思えるが、その下呂線も実現の見込みがなくなり、昭和53年にとうとう廃止となった。(下呂線建設を前提とした廃止という説もあるようだ)
廃線跡は比較的よく残っているほうだったが、駅跡などは近年取り壊しが進んでいるようだ。しかし、橋梁などがまだかなり残されていて、中でも木曽川にかかる鉄橋が現在も残っているのは奇跡的とも思える。
車で木曽川の橋梁から下付知までの区間を調査してきた。恵那峡口から山之田川までの区間は路盤跡はそのまま残っているようだが道路から離れた崖登り区間で、徒歩でないと廃線跡に近づけないようだ。今回この区間には踏み入れていないが、ここに大きな橋梁が隠れているようだ。
山之田川から美濃福岡までは国道に平行していて探索も容易だが、痕跡は途切れ途切れという感じだった。
美濃福岡から美濃下野は国道を離れて付知川沿いを進んでいた。川の対岸に細い道路が平行しているので車で行くことも可能。この区間はかなり現役当時の名残をとどめている。
美濃下野から田瀬の間は痕跡がほとんど見つからなかった。探した場所が悪かったのだろうか?再訪してみたいと思う。
田瀬から終点下付知までは再び国道沿い。痕跡はあまり残っていなかった。
鉄道廃線跡を歩くIと国土地理院の地形図を参考にしたのだが、「廃線跡を歩く」はわずか2ページの資料で、地図も大まかなものであるために駅跡、線路敷きの場所がはっきりしない。地形図にも線路跡らしき地形が残っていない場所が大半で見逃しが多そうである。もう一度調べ直して再調査したい。