今福線廃線跡調査 3

調査結果

上府町久畑地区〜上府町・宇野町境界(旧線)
県道の脇に残る短い第1上府トンネル。 第1上府トンネルの上部はひびが入っている。これを見て通行止めになってしまったのかも知れない。
第1上府トンネルを抜けると県道と分かれて山の中へと高度を上げながら進む。 その先には第2上府トンネルになっている。
右上の第2上府トンネルを抜けて左に見える県道の脇を進む。このすぐ先(写真後方)で県道と川を越える。(写真奥が下府)
川に橋脚が建っていたと思われるがその跡は分からなかった。写真中央を線路が通るはずだった。 写真ではほとんど分からないが、対岸に目を凝らすと第1有福トンネルが口を開けているのが分かる。

一旦県道に吸収された廃線跡はすぐに県道から分かれて小さなトンネル(第1上府トンネル)をくぐっている。ここも線路跡は舗装されて、近年まで車が通れたようだが、トンネルが封鎖されていて現在は通行止めになっていた。おそらく2000年くらいだったかに騒がれたトンネル崩落事故の影響で事故が起こる前に封鎖してしまおうということになったのだと思われる。この先のトンネルも道路として利用されていたものがかなりあったがそれらは全て同じように柵が付けられていた。

この先県道は川に沿って山を迂回して進むのだが線路跡は高度を上げながらほぼまっすぐ進み、第2上府トンネルで山を貫いている。近年までは県道の近道として使われていたようだがトンネルが封鎖されてしまったため「この先通り抜けできません」という立て札が建っていた。

第2上府トンネルを抜けるとすぐに県道と下府川を越えて対岸の山の第1有福トンネルへと続いていた。県道と川を超える部分は当然橋梁が架けられていたはずだがここにはその痕跡は残っていなかった。着工された可能性は高いと思うのだが撤去されてしまったのかも知れない。->昭和58年7月の山陰水害の際に倒れてしまったそうです。

対岸の第1有福トンネルは写真ではほとんど分からないと思うが林の中に目を凝らすと確認することができる。この川から先は宇野町である。

上府町・宇野町境界〜宇野町中心部(旧線)
写真ではやっぱりほとんど分からないが大谷バス停の裏のトンネル。(奥が下府) 左のトンネルを抜けて、すぐにまたトンネルに入る。この部分は築堤になっていたが取り崩されていた。
右上のトンネルを抜けた先。左のロープの部分がちょうど線路だった感じである。(奥が下府) 左写真の反対側。この辺りが宇野町の中心部である。
線路跡の道路は少し行くと県道に合流。 線路は川に沿ってカーブし、手前の県道を跨いでいたと思われる。

第1有福トンネルを抜けた線路は大尾谷地区に一旦顔を出していた。大谷バス停の南の小屋で作業されていたおじいさんに尋ねるとすぐ裏にトンネル跡があるとのこと。山の中に入るまでもなくトンネル跡ははっきり確認することができた。

トンネル跡はやや高い場所にあり、この部分は築堤になっていたのだが、現在は崩されてしまっていた。反対側には再びトンネル(第2有福トンネル)が口を開けているのが分かった。

第2有福トンネルは短いトンネルですぐに反対側に出る。トンネルを出で再び下府川を渡り、宇野町の中心部へと入っていく。この部分は緩やかにカーブした築堤跡がそのまま道路となっていた。おそらくこの辺りに駅が作られる予定だったのだと思われるが駅予定地などは全く分からなかった。

線路跡の築堤は少し行くと県道に合流する。線路はこの先川に沿って90度近く右にカーブしていたはずであるが、線路跡ははっきりしなかった。カーブした後県道301号を跨いで山に取り着いていたから、ここからは築堤または高架になっていたと思える。


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