日田線廃線跡調査 2

調査結果

妙見〜水町

足原小学校前の道路。右手が小学校で、この辺りを線路が横切っていたと思われる。 霧丘中西で見つけた橋台跡。日田線の物とは違うかも。
高坊地区の団地。すぐ左が霧ヶ丘地区。団地の前あたりを線路が通っていた気配がする。 日豊本線をオーバークロスしていたと思われる付近。右手が水町。
右写真の反対側。この道路橋が線路跡か? 水町信号場付近。奥が妙見、城野方向で、右奥方向から日田線が合流していた。

妙見から先は細かい地図を用意していなかったので線路跡のはっきりした場所がよく分からなかった。

この辺りも道路が線路跡というわけではなく、住宅が建ってしまっている。

東側の土地が高くなっていて、線路は片盛土になっていたようである。

足原小学校を過ぎ、霧丘中の西の道が突き当たったところに橋台跡を発見。コンクリートのため道路の橋台跡だろうか?

この先登り勾配となり、高坊と霧ヶ丘の境あたりを通って国道10号をオーバークロス、続いて日豊本線をオーバークロスしていた。日豊本線をオーバークロスするところに狭い道路橋がある。場所的に少し西側すぎる気もするが、橋には37年8月完成と書いてあったので、35年の日田線廃止の直後なのがあやしい感じがする。

日豊本線を越えると下り勾配で左カーブし、日田彦山線と合流する水町信号場となる。日田彦山線の線路脇が広くなっている一帯があり、これが分岐点の名残のようだ。


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