五新線廃線跡調査 5

調査結果

立川渡〜阪本

立川渡の中心部から少し離れた工場。駅予定地だったとしても不思議ではない感じがした。 立川渡中心部付近の空き地。この辺りか、この奥が駅予定地だった予感がしたのだが・・・。
右上写真から少し左(南、阪本方向)を見たところ。計画図では、一旦川を渡る予定だったようだ。 山の中腹に天辻トンネル入り口が見えた。入り口に近づくのはとても無理そう。
天辻トンネル入り口をアップで撮影。 天辻トンネル出口。手前の道路はまだ未改良の国道。
天辻トンネル出口脇にあった看板。再利用の道が見つかって良かった。 天辻トンネルからまっすぐ反対側を見る。駅が作れそうな場所など無いのだが・・・。
阪本集落から天辻トンネル方向を見る。 トンネルからほぼまっすぐに進んだ集落部分。この辺りに強引に駅を作る予定だったのだろう。

立川渡は、山と川の間のわずかな土地に家が建っているという集落だった。その地形上駅が作れる場所は限られているはずで、集落中心部(の対岸)と思われる場所に駅が作れそうな場所があり、橋も架けられていたのだが、「廃線跡を歩く」によれば集落から山に分け入ったところが予定地らしいとあるので、この少し奥が駅予定地だったとも考えられる。

また、集落の少し手前の工場の敷地も駅を作るのに向いていそうだったので、あるいはそちらが予定地だった可能性もありそうだ。どちらにしろ、土地の人に聞いたりは出来なかったのではっきりした場所は分からずじまいである。

立川渡を出るとループトンネルで山を登り、谷を渡ってから、阪本までの間では最長となる天辻トンネルへと入る予定だった。立川渡トンネルという名になるはずだったループトンネルは着工されていなかったようだ。

ループトンネルは全長2140メートルの予定で、トンネル内でループが完結する予定だったようだが、そうするとカーブ半径は340メートルとなる。この半径では時速70キロ程度の速度制限が必要で、長大トンネルでまっすぐ進む割にはあまり高規格路線とも言えない感じである。

立川渡の集落から国道の旧道らしい道を登ると、谷の向こうに天辻トンネルの入り口が見えた。手前部分の路盤は出来ていなかったようで、山の中にぽっかりトンネルだけが口を開けているのが何か異様な感じもする。

そのまま国道の旧道で山を登って、かなりの時間車を走らせてようやく阪本へと到達する。道路も長いトンネルが掘られるなど改良されているが、それでも鉄道がまっすぐトンネルで抜ける予定だったのに比べるとかなり山を登ったり迂回したりしているので、到達時間の面では鉄道が遙かに有利だっただろう。

天辻トンネルの出口は阪本集落の手前の国道のすぐ脇にあった。ここまで全て道路とは立体交差していた路盤だが、ここだけは道路を横切る形になる。国道はこの部分はまだ未改良だったので、国道側を高架にする予定だったのだろうか。

トンネル脇には「大阪大学大塔コスモ観測所」という看板があり、トンネルを研究施設として利用していることが分かる。研究はトンネル中心部でやっているらしいが、全長5キロのトンネルであり、中心部まで行くだけでも結構大変そうである。トンネルを覗くと、立川渡に向かって明らかに下っているのが分かる。看板にも勾配があるように描かれていて、立川渡からずっと登り勾配となっていることが分かる。

トンネルから数100m行った場所が阪本駅予定地らしいのだが、トンネルからまっすぐ反対側を見ると貯水池のために広くなった川を渡った先はすぐに山となっていて駅を作れそうな場所がない。山を削るなり、川の上を使うなりして強引に駅を作る予定だったのだろうか。用地買収などはされていなかったようなのではっきりした予定地は分からなかった。

阪本から先は十津川村を抜けて新宮まで伸ばす計画だったらしいが、まだ紀伊山地に入ったばかりで、目的地新宮は遙か先である。トンネルの連続で何とか阪本まで来たが、全体で見るとごく一部が出来ただけであり、とても全通の見込みなど立っていなかったことがよく分かる。


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