美幸線廃線跡調査 2

調査結果

美深〜東美深〜辺渓〜仁宇布

交通ターミナルとして立派な駅舎となった美深駅。 美深駅の南(東美深、名寄方)から構内を見る。ほぼこの角度で美幸線が合流していたようだ。
美幸線ホームとして使われていた美深駅3番線跡。(2000年8月) 倉庫が斜めに建っていることから、ここを美幸線が通っていたと推測できる。(美深駅のすぐ南)
道道の改修のため崩された築堤。ここから橋梁だったようである。 道道の下には放棄された旧道が残っている。(左写真と同一地点)
山の中を進んできた線路。(道道の高広の滝パーキング部分) 道道の高広の滝パーキングからは軌道自転車用の整備された線路となる。
軌道自転車の終着地点のすぐ手前にあった短い橋梁。 立派なコンクリート橋が道道からもよく見える。
仁宇布駅跡はトロッコ王国としてそのまま使われている。 仁宇布駅から辺渓方を見る。軌道自転車用に交通標識のようなものが付けられている。
当時の姿のまま残る仁宇布駅ホームには美幸線とは関係ないと思われる電車が1両止まっていた。 訪れた日はちょうど日曜日だったのでトロッコ王国が営業していた。
仁宇布駅ホームより北見枝幸方を見る。 仁宇布駅前には記念碑が建っていた。

美深駅は交通ターミナルとして立派な駅舎が建っていた。2階には美幸線記念館があるようだが、2000年に訪ねたときは一般公開はされていないようだった。廃止時に作られたこのような記念館は数多くあったのだが、今でも公開している所はだんだん少なくなってきているようだ。

美深駅は現在2面2線の配線だが、かつては3番線があり、ここから美幸線の列車が出ていたらしい。その3番線跡はレールこそ外されていたが、今でもはっきり残っている。

美幸線は宗谷本線の名寄方向に向かって出ていた。美深を出るとすぐに宗谷本線と分かれて左に90度向きを変えて東に進む。線路跡と思われる場所には倉庫などが道路に対して斜めに建っていて、おそらく美幸線のラインに沿って建てられたためだろうと推測できる。

この先の線路は畑の中を通っていたのだが、今では線路跡は畑に吸収されてしまってさっぱり分からなかった。東美深駅のあったと思われる付近には民家が2、3件あったが、駅跡はさっぱり分からなかった。

そのまましばらく畑の中を進み、山に突き当たった辺りに辺渓駅があった。しかし駅跡はさっぱり分からず、運悪く大雨になってしまったので詳しく探すことは出来なかった。

辺渓から先は無人の渓谷地帯となる。線路は谷を流れる川を何度も渡りながら仁宇布を目指していた。ここから仁宇布までは15Kmもあるが、途中駅はない。この渓谷地帯は、並行して走っている道道49号の大改修、が行われたようで、そのときに邪魔になる廃線の橋梁のいくつかは撤去されてしまったようである。所々に改修前の道路が廃道となって残っていた。道路改修の関係で線路跡を推定するのが難しくなっているが、注意してみていると所々に築堤跡が残っていた。この区間は廃道の橋梁跡もあるため、廃線の橋梁かとおもったら廃道の橋梁だったりするので注意が必要である。大雨のため詳しく調べていないが、よく調べれば橋梁跡が見つかるのではないだろうか。

しばらく進み、道道の高広の滝パーキングの辺りでは道床にレールが残っていた。パーキング部分で一旦レールは途切れるが、その先は整備された状態でレールが残っている。ここから先は住人有志が「びふかトロッコ王国」としてエンジン付きの軌道自転車を走らせているので、線路がそのまま残っているのである。

ここから先もまだしばらく渓谷地帯が続く。道道からは美幸線のコンクリート橋がいくつか見えたが、どれも同じ形をしたコンクリート橋で味気ない感じだったので、とりあえず1枚だけ写真を撮って他は見るだけにする。

渓谷を抜けると仁宇布の集落に入る。仁宇布駅跡はトロッコ王国としてそのまま使われていた。駅舎は無くなってしまったようだが、ホームや構内の線路はほぼそのまま残っている感じだった。ホームには駅名標もしっかり残っていた。また、駅前には美幸線の記念碑も建っていた。

訪れた日はちょうど日曜日で、トロッコ王国はかなり多くの人で賑わっていた。トロッコも3台くらい稼働していて、かなり訪れる人は多いのだと思った。私も乗ってみたかったのだが、時間がなかったのでやめておいた。

開業区間はここまでで、北見枝幸方の線路は構内外れで合流した後途切れていた。しかし、ほとんど建設の終わっていた路盤はこの先もはっきりと残っていた。


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