赤谷線は大正11年に新発田から簀立沢までの鉱石運搬鉄道として開通した。簀立沢というのは昭和31年に廃止となった日鉄鉱業赤谷専用線の終点「鉄山」駅のあたりである。線路幅は3フィート6インチの本線並みであったが、規格は軽便線並みであった。しかし開通の頃には鉄鋼価格は暴落を続けていて、赤谷鉱山もろくに操業しないうちに採掘を中止、鉄道も運行中止となった。
大正13年羽越線が開通すると、赤谷線も鉄道省に譲渡され、赤谷線として一般旅客も扱う通常の営業路線とすることが決定された。早速改修工事が始まり、大正14年には赤谷まで開通した。途中駅もこのときに設置されている。
日中戦争が始まると再び赤谷鉱山の採掘が始まり、昭和16年には赤谷-東赤谷間も開通、東赤谷-鉄山間も日鉄鉱業の専用鉄道として竣工、建設から19年も立ってようやく鉱石運搬鉄道としての使命を果たすことになった。
しかし、鉱山の閉山が始まり、輸送手段がトラックになると当然鉄道は赤字となり、第1次特定地方交通線に指定されて昭和58年で貨物列車が廃止、昭和59年に路線も廃止となった。
駅名 | 読み | 駅間距離(Km) | 累計距離(Km) | 開業年月日 | 廃止年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
(新発田) | しばた | - | 0.0 | 1925-11-20 | 1984-04-01 | 羽越線の駅 |
東中学校前 | ひがしちゅうがっこうまえ | - | - | 1973-06-04 | 仮乗降場 | |
五十公野 | いじみの | 4.1 | 4.1 | 1925-11-20 | ||
新江口 | しんえぐち | 2.4 | 6.5 | 1963-11-15 | ||
米倉 | よねくら | 2.0 | 8.5 | 1925-11-20 | ||
新山内 | しんやまうち | 2.7 | 11.2 | 1963-11-15 | ||
赤谷 | あかたに | 2.9 | 14.1 | 1925-11-20 | ||
東赤谷 | ひがしあかたに | 4.8 | 18.9 | 1941-06-01 |
新発田から赤谷専用鉄道の鉄山までレンタカーで調査してきました。
赤谷線はその大部分がサイクリングロードとして再整備されていました。新発田から赤谷駅の手前までサイクリングロードが完成していました。この先に延ばす予定があるのか分かりませんが、そのさきは線路跡が道路に取り込まれている区間が多いためこれ以上は伸びない気がします。
サイクリングロードなので線路跡を歩くのは容易です。レンタサイクルを利用するのがよいかも知れません。車だと道路が平行していないので大変でした。ただ、全長19キロの路線であるため全線徒歩や自転車での調査はかなり時間がかかると思います。サイクリングロードの部分はそれほど坂はありません。サイクリングロードが途切れた先から急な勾配が始まります。
調査に要した時間は新発田から東赤谷までで2時間くらいだったと思います。
この時は赤谷線に行くことを目的に行ったのではなかったので、事前に資料等は全く用意していませんでした。当日新発田市図書館で「新潟の配線跡」とかいう本を見つけ、これを参考に調査しました。重要資料である「鉄道配線跡を歩く」に匹敵する本で、地図も載っていたのでそれほど調査に支障はありませんでしたが、焦っていて地図を見誤り、赤谷駅は無くなってしまった物と勘違いしてしまったのが非常に心残りです。
ゴールデンウィークにロングドライブがしたくなったので、自家用車で新潟地方の廃線を見てきました。その際に、2002年の調査で見落とした五十公野駅跡と赤谷駅跡に行ってきました。